「塩対応」という言葉のおもしろさについて。
塩対応(しおたいおう)
握手会などにおける、アイドルの「しょっぱい」対応、すなわち冷たくて愛想の無い、素っ気無い対応という意味で用いられる語。
(以下略)(参照)
例としては「常に無表情」「挨拶をしない」「声が小さい」など(参照)。
なるほどー。
2011年にはもう使われていたようだが(参照)、私が知ったのはつい最近。
ウラシマー。
「塩対応」。
これ、新語としておもしろいだけじゃない。
「塩」→「しょっぱい」→「冷たい」「無愛想」、とつながる感覚がおもしろいよね。
…と思って調べてみると、どうやら順序が逆で、「冷たい」「無愛想」→「しょっぱい」→「塩」、だったみたい。
ほほー。
まずは「塩」から。
“塩のことならなんでも”的なサイト「塩なび」のことわざ集(参照)をざっと見ると、「塩」はほとんどの場合、特にひねりもなく使われている。
「傷口に塩」にしても「敵に塩を送る」にしても、「青菜に塩」にしても、調味料の、あの「塩」のこと。
そのまんまだ。
塩の特徴から派生した意味としては、「生活になくてはならない大切なもの」。
あとは「清めの塩」の類。
「塩」は大切で神聖なもの、というのが基本イメージで、「塩対応」の「塩」とは完全に別のもののようだ。
続いて「しょっぱい」について。
ウィキペディア(参照)によると、もともとはプロレス・格闘技界の言葉であった「しょっぱい」が、2010年代以降、芸能界でも使われるようになったらしい。
「しょっぱい芸人」とかいうのは
「しょぼい」(参照)の影響もありそうな気がするけどな。
で、「しょっぱい」とは何かというと、プロレスなどの格闘技で使われる場合は「つまらない」「見せ場がない」「盛り上がりに欠ける」という意味らしい。
ところがその元をさらにたどると、出所は大相撲で、「弱い・情けないという意味の隠語」(参照)。
負けて土俵上を転がると塩が体についちゃうからね。
ふむ。
「弱い・情けない」→「つまらない」「盛り上がりに欠ける」の変化は、意味的に近いし、わかるよ。
文脈としても格闘技という勝負とショーの世界の言葉だし。
でもそこから「冷たい・無愛想」になるまでは、本来ならだいぶ距離がありそうだ。
この意味の飛躍の原動力となったのは、「ファンという存在の変化」だろうと思う。
そしてその変化を促したのは、昨今の日本ですっかり定着した“会いに行けるアイドル”である。
いまやファンは憧れの対象に直接会いに行き、ソーシャルメディアを通じて直接コミュニケーションをとり、発言権を持ち、時にはアイドルを叱咤激励さえする存在だ。
当然、アイドルの態度についての評価もする。
アイドルの態度を見て「つまらない」「盛り上がりに欠ける」、つまり「しょっぱい」と評価するのは他ならぬファンであり、ファンにそれらの残念な感情をもたらした原因は、アイドルの様子が「冷たい・無愛想」だった、という論理展開の最初と最後をつなぐと「塩対応」という表現が生まれる、ってことじゃないかな。
つまり、まとめると
(アイドルが)「冷たい」「無愛想」
→(ファンが)「しょっぱい」(と感じる)
→(ファンがアイドルに対して)「塩」(という評価を下す)
ってことかしらね。
「塩」=「冷たい」「無愛想」だなんて、「大切・神聖」一筋でやってきた「塩」にしてみたら寝耳に水ってところだろうけどね。
時代は変わってきてるってことよ。
ちなみに「塩なび」内で検索してみたが、「塩対応」についての記述はなかった。
ちっ。
しょっぺぇな。