Comfort Zone

年下の友人との会話をきっかけに考える。

「自分のComfort Zone を抜け出そうと思って」。
公私ともに充実し、確実に成長中の彼女は、研究者として将来の選択肢を広げるために、想像しただけでも憂鬱になるような“合宿”に参加することにしたという。
「もう、怖くて怖くて」
「途中で絶対に一回は泣きます」
「申し込まなきゃよかった、来なきゃよかったって思うと思うんです」

うん、うん。わかる。
わかってても、でも、やるんだよね。

それを聞いたときの私の最初の反応は、「若いのにエライなぁ」だった。
そういう怖いことをあえてやる意義をもう知ってるなんて、さすがだなと思った。

すぐに訂正した。
「あ、違うな。若いからできるんだ」と思った。
“Comfort Zone” なんて表現は使わなかったけど、私も以前はそういうタイプだった。
日本にいて普通に働いていれば何の不自由もなく、怖い目にも遭わずに済むのにそれを捨てて、わざわざ好きでもない外国へ泣きながら出てきたのだった。
おばちゃんもねぇ、あなたぐらいの年の頃はそうだったわよ。

またすぐに訂正した。
イヤ、今もそうじゃん。
そりゃ、ここ最近こそエネルギーが低下して、”Comfort Zone” 内でお休み中な雰囲気はあるけど、基本的なところは変わっていない。
「怖いよぅ」「嫌だよぉ」と言いながらも、この怖くて嫌なことほど大事なことはないと思っている。
お休みはまもなく終わり、次へ進まなくてはならないこともわかっている。

改めて、”Comfort Zone” についていくつか拾い読みしてみる。
The comfort zone is a behavioural state within which a person operates in an anxiety-neutral condition, using a limited set of behaviours to deliver a steady level of performance, usually without a sense of risk.(参照

if you keep doing what you’ve always done, you’re always going to get what you’ve always gotten(参照

Instead of withdrawing to their comfort zones when they don’t get immediate results, they force themselves to stay at this awkward, uncomfortable and painful (but higher and better) level of performance until the pain finally subsides and they become comfortable at the new higher level.(参照

I say screw comfort, before it screws you. Getting out of the so-called comfort zone is easier than you think. (参照

中でもいちばん「あいたたた」と思ったのはこの図(参照)。
“Comfort Zone”の内側には”Depression”が、外側には”Confidence”があるではないか。

ふむ。

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