母の日

出不精の私でも外に出たくなるような快晴。
本当に母の日というのはよく晴れる。

母の日のこの天気の良さは”Mother” Nature (“母”なる自然)から、母仲間である他のお母さんたちへのプレゼントだとか。
なるほどね。

祝日や、誕生日などの記念日をすべて含んだ年中行事のうちで、私は母の日がいちばん好きだと思う。
その理由の一つは、実の母のおかげで、私の「母」というものに対するイメージが良いためだろう。
なにしろうちの母は、生まれつき母だったんじゃないかと思うくらい母に向いた人なのだ。

もう一つの理由は、この世で母になるということほど偉大な貢献はないと考えているからだろう。
世界中の、どのお母さんも、みんな素晴らしい。
母の日は、そのお母さんたちに、母の喜びを噛みしめてもらう日。
そう思うと、もううれしくてしょうがない。

日本の母の日はどうやらいまだに“子が自分の母に感謝を伝える日”、なんなら“我が子から何かもらう/してもらう日”というものすごく限定的な意味でしかないようなので、母の日の楽しみ方といってもピンと来ない様子だし、たとえば妻や娘や女友達として、夫や親や友人など、我が子以外から母の日のメッセージをもらうことが理解しにくいようだ。
Mother Nature が母仲間にプレゼントを贈るように、母同士がお互いに喜びを確認しあっても全然いいのだが、そういう感覚はなさそう。

その影響もあるのか、日本人の母の人に、「母の日、楽しみですね」などと言うと、私が母でないことを気遣って申し訳なさそうにされることがある。
日本式の過剰な忖度だなぁと思う。
面倒くさい。

私は母になりたいと思ったことがあるだろうか、と考える。
…ないな。
母というのはなろうと思ってなるもんじゃないだろうと思う。
昨今は妊活だ、不妊治療だと表立って言う人もいるけど、私は「子どもがほしい」という言い方も、「子どもを作る」という考え方も、どうしても不遜な気がして好きになれない。
それよりは、子どもを授かった日から、だんだん母になっていくというのが好きで、そういう母のなり方のほうに、美しさを感じる。

世の中にはいろんな人がいて、母になりながらも、母であることを喜べない人もいるらしい。
おそらく多くの場合、本当の不満は他のところにあって、その不満が解消されれば、自分が母であることも、子どもを持っていることも、喜びに変えることができるのだろうが、それに気づくのは簡単ではない。
そういう人たちは、この母の日をどういう気持ちで迎えるのだろうか。

私は母にはならないけれど、そのことを悔やんでもいないし、落ち度だとも欠点だとも思っていない。
「母になっていたら」と想像することさえない。
母でもないくせに、母の日が大好きで、毎年この日が来るのが楽しみで、それでいいと思う。

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