英語と日本人

「日本人なのに英語を教えてるってすごい」。
どうでもいいっちゃあ、どうでもいい話。

「日本人なのに英語を教えてるってすごい」。
これ、日本では言われない。
日本には英語を教えている日本人がたくさんいるからね。

アメリカの田舎でも言われない。
日本から来た留学生で、しかも大学院に行っているとなれば、「専攻は?」と聞かれるのは普通だけど、それに対して私が「英語教育です」と答えたからって、「えぇっ日本人なのに?」とはならない。
相手がアメリカ人の場合、そもそも外国語の学習という意味が理解されていないこともある。
興味を持たれるとすれば、いろいろある専門のうち、なぜ英語教育を選んだか、とかかな。
日本人には「すごい」と言われることがあるけど、やっぱり「日本人なのに」とは言われない。

ところが日本人がたくさんいるアメリカの都会で、そこに住んでいる日本人に会うと、ものすごくよく言われる。
「えぇ?日本人なのに英語を?」
私の身近なところではニューヨークシティだけど、これ、ロンドンとかシドニーとか、バンクーバーとか、英語圏の、日本人が多い都市ではあるあるなのかな。

彼らにとって、英語というのは日本人が教えるものではないらしい。
納得がいかないのか、続いて、「アメリカ育ちなんですか?」などと聞かれる。
日本国籍の人だとしても、アメリカで育っているとなれば、話は別。
要するに英語ネイティブだったら問題ないのだ。
「いいえ、日本生まれの日本育ちです」と答えると、いよいよ「すごいですねぇ!」となる。

「日本語じゃなくて英語を教えてるんですか?」というのもある。
たとえ場所がアメリカで、言語教育に携わっているとしても、日本語ならさほどすごくないとでも言うようだ。
「一時は日本語を教えていたこともありますが、結局、英語に落ち着きました」と答えると、訳がわからない、という顔をされる。
「私には母語を教えるのは難しすぎて」などと言おうものなら、完全に冗談と捉えられる。

同じアメリカに住む日本人でも、田舎でこうならないのはどういう理由かな。
外国の田舎暮らしはラクじゃないので、日本人といえども英語は必要に迫られて上達しており、彼ら自身の英語力や英語教育に対する理解が平均として都会の日本人より高いせいだろうか。
田舎の日本人たちは都会ほどくっついて暮らしていないので、都会の人のように自分と比べて他人を評価するということがないせいだろうか。

「日本人なのに英語を教えてるってすごい」。
考えてみると、これ、いろんな幻想や思い込みの表れだよね。
彼らは自分たちの反応の特殊性に気づいていない。
おもしろいものだと思う。

そして、日本にいる日本人がこの反応をすることはない。
これもまた、幻想や思い込みの表れと見ることができる。

上述のとおり、日本には英語を教える日本人が普通にいるから、日本にいる日本人にとって、日本人が英語を教えることは不思議でもなんでもない。
さらに、日本にいる日本人の多くは、なぜか疑いもなく、英語圏に住めば、誰でも自動的に英語ができるようになると思っている。
語学留学でもすれば、あっという間に英語ペラペラになるのは当然で、英語がペラペラなら、英語を教える人になるのは当然のこと。
だからアメリカに住んでいる私が英語を教えるのは、当たり前中の当たり前なのだ。

逆にもし、私がアメリカに住んでいるのに英語ができないと言えば、「そんなはずないでしょう」「ご謙遜を」みたいなことになって、信じてもらえないだろう。
英語はできるけど教えられないと言えば、「もったいない」みたいなことになるだろう。
彼らにとって、アメリカに住んでいることと英語を教えることは、そのくらい密接にリンクしている。
だからこそ、日本では“ネイティブ”というだけで即座に英語を教える職に就けちゃうのだ。

ニューヨークシティの日本人たちは、日本にいる日本人よりいくらかよく英語の大変さを知っている。
ただ英語圏に住んだだけでできるようになるほど、日本人にとっての英語は甘くないことを知っている。
ひょっとしたら渡米前にはもっと簡単だと考えていて、期待を裏切られた後なのかもしれない。
英語ができるようになるだけでも大変なのに、それを教えるなんて。
それで、「すごいですねぇ!」となる。
おそらく彼らの頭の中にいる私は、英語ペラッペラの、英語のことならなんでも知ってるネイティブスピーカーなのだろう。

そして私が「オンラインで日本人を対象にしている」と告げると、彼らの「すごいですねぇ!」は急速に冷える。
「あ…、そういうことですか」となる。
英語を、日本人以外に教えているならすごいけど、日本人向けならすごくない。
「そっか、そういえば日本にも英語を教えている日本人はいたな」と思い出すのだろうか。
その瞬間に彼らの頭の中の私は、ペラペラじゃなくなるのかもしれない。
それ以降、たとえば「アメリカのESLで教えたこともある」と言っても、彼らは興味を示さない。

アメリカで英語を教えている日本人は、すごい。
ただし対象が日本人なら、すごくない。
日本で英語を教えている日本人は、すごくない。
アメリカで日本語を教えている日本人は、すごくない。
確かめたことはないけど、日本語を教えているアメリカ人は、たとえ対象がアメリカ人でも、たぶん、すごい。

なんじゃそら。

きっとどこかまでは自分でも手が届きそうで、どこかからはまったく無理、という判断なんだろうな。
ま、実際のところ、語学留学帰りぐらいのレベルでも日本では英語のセンセイになれちゃったりするわけだから、その判断はまったくのナンセンスでもない。

「英語と日本人」への2件のフィードバック

  1. Norikoさん

    はじめまして。お返事がとても遅くなってしまい申し訳ありません。Norikoさんのコメント、「うん、うん、わかるぅぅー」と思いながら読ませていただきました。

    長い間ESLのベーシックレベルを教えていらっしゃるとのこと、それは本文とはまったく違う意味で「すごい」です。私も経験がありますが、このレベルは日本でいう英会話初級とは比べ物にならないほど受講生が多様で、受講生の反応も授業の展開も、予想外なことがたくさん起きますよね笑。元“うちのコ”たちの顔が浮かんできます。最近は脳科学方面からDyslexiaの研究が進んでいるので、当時の私にこの知識があったらよかったなと思うこともあります。

    難民向けESLプログラムについても、思うところがいろいろあります。これはまた別の機会に。

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