言語コーチ研修最終課題の審査結果とフィードバックが届いた。
最終課題は60分の初回コーチングセッション実演。
それを録音した音声ファイルと、受講生に渡す書類のコピーを提出することになっていた。
課題なので、セッションの構成はある程度決まっており、たとえば「言語コーチングの簡単な説明(5分)」、「文法チェックテスト(5-7分)」「ゴール設定(25分)」など、時間内に収めるようにしなくてはならない。
また、評価のポイントもあらかじめ公表されており、たとえば「国際コーチ連盟の規定に沿っているか」「信頼できる雰囲気作りができているか」「自然な会話からゴール設定まで運ぶことができているか」「学習の定着や長期記憶へ導く工夫をしているか」「考えさせる質問ができているか」というようなことを審査するよ、と予告されている。
ま、でも実演というのは「いつも」が出るもので。
ガイドラインを頭に入れて臨むことには、一定の意味はあるが、基本的には研修を通じて学んだこと、日頃から大事にしていること、考え方や癖など、私という人間そのものがどうしても出ちゃうので、準備してもしきれない部分が大きい。
そういう開き直りもありつつ、でもやっぱり普段より少し緊張度の高いセッションを行い、録音をした。
審査の都合上、全編英語なので、そこもちょっとヨソイキだった。
セッション直後に録音を一通り聞き、当然のことながら、「あぁぁ、ここであれが言えていれば」「んんんー、もうちょっと言い方あったじゃん」などなど、反省は山積みだったが、取り直すわけにもいかないので、恥を忍んでそのまま提出した。
それから3週間。
ようやく審査結果が届いた。
ワードドキュメント、びっちり5ページ。
ここここんなに細かく見られるとは。
セッションを6部に分け、各部について、6-8のチェック項目に沿ってコメントがついている。
さらに「総評」として11項目の出来についてのコメント、さらにさらに「このコーチの強みと改善すべき点」、最後に審査員からの追加コメント。
ドキドキしながら読み進めると、信じられないほどのお褒めの言葉が並んでいる。
まぁ、冷めたことを言えば、これは養成講座なので、不合格にして芽を摘むことが趣旨であるはずがない。
ましてこれは、人間の可能性を信じ、力を伸ばすお手伝いをするコーチングの研修なので、できているところを見つけ、褒めてやる気にさせるということをしないはずがない。
しかし、各項目ごとに綿密に審査され、それぞれについて、これだけ細かく丁寧にこってりと褒められると、照れ屋の私もさすがに受け止めざるを得ない。
これは本気で褒めてるな、と。
本気の褒めには、熱があるのだ。
そしてその熱は、エネルギーとなって、相手に力を与える。
この人は、私がコーチになることを本気で応援してくれていて、私がコーチングをやることに本気で賛成してくれるのだなと思う。
「私はプロのコーチとしてやっていける」。
それを私に信じさせるために、60分の何倍もの時間をかけて私の実演を聞き、これだけの褒め言葉を並べてくれたんだ。
ありがたい。
あらゆる場面で斜に構えている私のような人でさえ、じんわりと、がんばろうという気が湧いてきてしまう。
6-7年前に私が教育実習を受け持ったときの教え子であるTやKは、今やESL教師としてすっかり一人前だが、会うといまだに、「実習でemi に言われたことを時々思い出す」なんて言う。
言ったほうは覚えてなかったりするんだけどね。
自分ではできているのかどうか確信が持てなかったり、新しい世界の一歩手前で不安を抱えているようなときに、先を行く人に「ちゃんとできてるよ」と認めてもらい、背中を押してもらうことには、ものすごい力がある。
スタート前に受けたその影響は、スタートしてからもずっと続く。
教育実習を担当する間、それを心がけてはいたと思う。
でも、今回私がもらったような、圧倒的な褒めの熱を、その頃の私は知らなかった。
あの時これを知っていたら、もっと詳細に実習を見てあげて、実習生たちにもっと効果的な言葉をかけてあげられたかもしれない。
みんな、ごめんよ。
そもそも私は、特に褒めるつもりはなくても、普通に「すごいなぁ」と感心しやすい体質なので、相手を喜ばせようとか、褒めようとか考えなくても、思ったことをそのまま言うだけで、結果的に褒め言葉のようになる場合が多い。
「褒め上手ですね」なんて言われることもあるが、それは本人が意識してやっているわけじゃないので、偶然の産物というか、過失みたいなものなのだ。
他の人の良いところやできていることを見つけて、その発見をそのまま本人に報告することは、私にとって日常的で自然なことなので、人工的で不自然な褒めが気持ち悪くてしょうがない。
「褒めて伸ばす」が教育の主流になり、テクニックとして「褒めましょう」みたいな風潮になり、「ほめ言葉マジック」(参照)や「ほめ達」(参照)が生まれ、「本気で褒めなきゃダメ」なんて記事(参照)が出たりして、なんだかなぁと思っていた。
やがて本質を失った“褒め”にクレームがついたりして、“褒め禁止令”が出るんじゃないかと思っていた。
でも、そういうのはどうでもよくなった。
どんなにおかしな動きが「褒め」に揺さぶりをかけてきても、本物の褒めはきっとビクともしない。
大丈夫。
過去の教育実習指導で果たせなかったことへの反省と、今回学んだ熱い褒めの力をペイフォワードすべく、これから出会う人を私はたっぷり褒めようと思う。
お世辞や口先だけで褒めたことは今までだって一度もないけど、あんまり言うと嘘っぽく聞こえるような気がして、量的に少し遠慮していたところがあったと思う。
これからは思いのままに、褒めたいだけ褒めることを許可しよう。
というわけで、コーチ研修シリーズ、完結。