センサー

自分で選ぶためのセンサーについて。

先日の『辺境ラジオ』(参照)で内田樹さんがご自身の人物判定感(勘?)について語っていた。

「僕にはセンサーがあるので、何かが来たときに、自分の生命力が賦活されるか減殺されるか感知できる。
嫌なものが来たら避けるし、良いものが来たら寄って行く。」

私はカミュを読んだことがないし、おそらく読んでも、それを理解できるほどの哲学的消化酵素を持ち合わせていないだろう。
でも、その「なんとなく許せない感じ」や、「ここまではいいけど、ここからはダメ」という境界線のことはよくわかる。

見栄えがよくても、現実的でないこと。
目立つけれど、中身がなく、薄っぺらなこと。
安易などんでん返しや逆転満塁ホームランを夢見ること。
他の人を蹴落とし、相対的に自分が上に立とうとすること。
私はそういうの、苦手。
気持ちが悪い。
そして逆に、どうにもならないことを謙虚にじっくり考えることや、不条理を認めながらも、批判や対抗に走るのではなく、だからと言って逃げもせず、不条理を正面から受け止め、不条理に寄り添い、不条理との共存を選ぶ態度をカッコいいと思う。

弱くて甘くて浅くて軽いのは嫌い。
強くて辛くて深くて重いのが好き。
それが私の価値観なのだろう。
そして、それが共有できる人との付き合いはしやすく、そうでない人との付き合いには工夫が要る。
価値観は千差万別なので完全に一致することはないし、似たものばかり集まっても、それはそれでよくないので、バリエーションに対する許容は必要不可欠なのだが、それでもやっぱり「ここまではいいけど、ここからはダメ」という境界線がある。
「減殺」が通りかかったときには、その境界線を基準にセンサーが働く。
「あ、離れよう」と思う。

車を運転しているとき、自分の前になんとなくフラフラして、ヘンなところでブレーキを踏んだりするヤツがいると、車間距離をとるなり、車線変更して追い越すなりして、「なるべく近づかないようにしよう」「早めに縁を切ろう」と思うよね。
あれはまさに自分の生命力を減殺するものを感知して、排除している行為なのだと思う。

センサーは良いことにも反応する。
「賦活」が通りかかったら、自分とその対象とが、何の迷いもなく、磁石のようにシュルッとくっつく感じがする。

遠ざけなければならないもの、近寄った方がいいもの。
その感覚に従って行動するだけで、自然と道は拓け、成長は進み、身の安全が守れるのだと思う。
センサーが敏感すぎて、いっそオフにしたいと思う日もあるけど、やっぱりオフでは困るのだ。

しかし世の中にはセンサーの働いていない人が多いように見える。
動物として、センサーがないはずはないと思うので、おそらくサビついたり退化したりという、機能不全の状態なのだろう。
好き嫌いはあっても、誰かの顔色をうかがって、本心を表明することが許されない環境にいたり、善悪や勝ち負けによって自らの好き嫌いをねじ伏せている状態が続くと、自分でも何が好きで何が嫌いか、わからなくなってしまうのかもしれない。
「見て見ぬふり」の癖がつくと、本当に見えなくなっちゃうのよね。

おもしろいのは、センサーが働いていない人ほど、「自分で決めなくちゃ」という思いが強いこと。
センサーが働いている人は、センサーに任せていればいいので、「決めなくちゃ」なんて気合を入れる必要がない。
いわば本能的、直感的な、選択の余地もない“一択”が、結果的に自分の主体的な選択になるだけのこと。
一方、センサーが働いていない人は、常に選択肢を無限に抱えて、そこから一つだけを選ぼうとしている。
そりゃなかなか選べないよね。
そしてその状態に耐えられなくなると、突然、「えぇい、なるようになれ!」とか言って、無謀な行動に出たりする。

センサーが働かなくなる要因として、上述のように抑圧環境によってセンサーが鈍る他に、「焦り」のために、自らセンサーを停止していることがあると思う。
焦りの元は、負い目、コンプレックス、劣等感、寂しさあたりかな。
寂しくて、構ってほしくてたまらないような状態の人は、センサーを一時停止して、誰でもいいから先着順で近くに来た人を引き寄せるより他にない。
欲が強く、不満や欠乏感を埋められないような状態の人もまた、センサーを一時停止して、手っ取り早く満足できそうな方法を選ばざるを得ない。
いかにも失敗しそうな計画も、詐欺まがいの儲け話も、安っぽい美談も、胡散臭い善人も、怪しげな奇跡も、センサーを止めている人たちにとっては“運命の出会い”なのだ。

審査なしで手に入れたものがたまたま良質という場合もあるが、たいていはそうではないし、なにしろセンサーが機能していないのだから、仮に良質なものが入ってきても、そうとは感知できない。
あれも違う、これも違う。
求めているものがちっとも手に入らない。
また焦って、次のものを急いで取りに行く。
闇雲に当たっては砕け、モノや人の数だけが増えていく。
「何でもいいから早く手に入れないと。今はセンサーなんて働かせてる場合じゃない」。
そういう“緊急事態”がずーっと続く。
その間、センサーは止まったまま。
で、サビる、と。

サビついたセンサーを再起動するのは、たぶん大変なことだろう。
滝にでも打たれるとサビが落ちるかしら。
ほら、精神修行を積むと、感性が研ぎ澄まされて、見えなかったものが見え、聞こえなかったものが聞こえるっていうじゃん。
あれは要するに、それまで止まっていたセンサーが再び動き出すってことなんじゃないかな。

ま、とにかく日頃から五感をしっかり動かして、こまめにセンサーのメンテナンスをしておくのがいいよね。
五までをしっかり動かしておかないと、第六感の出番はないから。

…と、ここまで書いて関連記事をまとめようと思ったら、おんなじようなことを過去に何度も書いていたことがわかった。
なーんだ。

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