「忙しい」について。
「『忙しい人』と『仕事ができる人』の20の違い」(参照)。
Facebook やブログなどでたびたび見かけるが、これ、元はといえば2007年の記事なんだね。
ブログ記事としてはもう古典といってもいいんじゃないかな。
私は忙しくてデキる人をたくさん知っているので、『忙しい人』 ≠ 『仕事のできる人』という前提に賛成しない。
件の人気記事のタイトルは「『忙しぶってるだけで仕事ができない人』と『仕事ができる人』の20の違い」であるべきだと思うが、ま、長すぎるし、そういう“含み”があることは言うまでもないんだろうね。
『忙しぶってるだけで仕事ができない人』はどこにでもいて、モヤモヤさせられることも多いから、その解消のためにも、この記事は役立っているのだろう。
いずれにせよ、これを読み、気に入り、引用し、拡散し、いまだにハッとさせられる人が多いということは、みんな「忙しい」という現象に対して何かしら思うところがあるということだろう。
「忙しいという字はココロをナクスと書き…」なんてのも、もう何百万回も聞いているのに、聞くたびに「そうだった。いけないいけない」ってなるんでしょ。
かく言う私も、このブログ内を「忙しい」で検索してみると、それなりにヒットする。
主なものを下の方にまとめて置いておこう。
誰だって、みんな忙しい。
私はものすごく忙しいときとそうでもないときがあるけど、年がら年中、本当に忙しい人もいる。
忙しいことを楽しんでいる人もいるし、忙しいことを忌み嫌っている人もいる。
自分が忙しいことを誇りに思っている人もいるし、忙しい人を見て軽蔑している人もいる。
自分は他の人より忙しいと思っているかもしれないが、他の人はそう思っていないかもしれない。
感じ方は人それぞれ。
忙しいと思いたい人は思えばいいじゃん。
「忙しいと思いたいけど、思うのはダメと言われたから、思わないようにしなくちゃ」とかは、ややこしいじゃん。
忙しいというのは、別に珍しいことでもないし、良いとか悪いとか言うほどのものじゃないと私は思う。
多くの人が持っているらしい「忙しい=カッコいい」という感覚は理解できない。
忙しいという状態は美的ではないし、優雅でもないので、私の好みではない。
たとえ本当は忙しくても、そうは見せないのが粋で、そのまんま忙しそうに見えちゃうというのは残念かなと思う。
そして、勝手な基準で算出した自分の忙しさを他人に見せても意味がないと思うし、自分の忙しさを理由に他人の時間を奪うような行為はみっともないと思う。
自分の命のサイズ内で、足るを知る。
それだけのこと。
だから私はある時を境に「忙しい」と思うのをやめた。
ま、なんにしろ、Facebook やブログで忙しさを強調したり、「忙しいとは何ぞや」とか言って考えてる暇があるんなら、余裕があるってことよ。
それはそれで、いいんじゃない。