言語のタタリ

「言語なんてただのツール」とおっしゃいますが。

「言語はコミュニケーションのツールであって、それに一生懸命になる必要はない。」
「大事なのは、言語以外の何か。言語ではない。」

というようなことを、いつ頃からかよく聞くようになった。
私が英語教育をやっているせいか、“言語”の部分は英語に置き換えられることが多く、さらにコミュニケーションをやっているせいか、「英語はしょせんツールですもんね」と言われることも多い。

今だったら「英語なんて言葉ですもんね」かな。

これら“たかが”的発言に出くわすと、私は困る。
「ですよね」なんて同意を求められたら、もっと困る。
いろんな意味で同意できないから。

コミュニケーションの手段は言語以外にもある。
まなざしでも表情でも、身振りでも奇声のような音でも、コミュニケーションを成立させることができる。
もちろん言語にもできる。
その意味で、言語はコミュニケーションの手段の一つには違いない。
でも「…のうちの一つ」ということを理由に、言語とその他を、同列に並べて語ることができるかどうか、私は知らない。
コミュニケーションにおいて、当事者間の関係性に左右されにくく、単純な内容から複雑なものまで幅広くカバーし、効率よく広く伝達できるという機能だけをとっても、言語は他の手段と比べものにならないほど優れているように私には見える。

「言葉だから誰だってできる」という主張については、丁寧に反論する必要もないだろう。
しかも第二言語について「誰でもできる」なんて。
「こんにちは」を100ヶ国語で言うとか、そういう話?
だとしてもクメール語やイボ語やアイマラ語でどう言うのか、全部覚えるのはかなり大変で、誰にでもできることではないだろう。

また、言語の役割をコミュニケーションに限定して考える傾向も危うい。
これは「コミュニケーション」の定義によるけど、もし「コミュニケーション=他人との対話」と捉えているなら、考え直したほうがいい。
言語は思考にも、アイデンティティにも関わっている。

言語だけできても世の中の役に立たない、というのなら、まぁ気持ちはわかる。
でも、そんな人、めったにいないよ?
「言語だけ」と言えるほどずば抜けて言語ができる人は、その言語能力が立派に世の中の役に立っている。
それ以外の能力を活かすとしても、言語を疎かにして影響のない職業は少ないと思う。
たった一言が命取りになった例はいくらでもあるじゃん。

何をやっても中途半端な人に戒めとして言っているのなら、それは言語の話じゃないでしょ。
“英語ペラペラ”の嫌味なヤツの鼻を明かすのが目的なら、他の表現にしてね。
言語に罪はありません。

ていうかさ。
言語を「しょせん」「たかが」と軽視するのも、「ツール」とバカにするのも自由だけど、それを思ったり言ったりするのに言語を使ってちゃダメでしょ。
言語のタタリにあうよ。

たとえばあなたが「しょせん言語」「たかが言葉」という言語表現を使う。
言語はその場にいるわけだから、カチンと来るのさ。
で、発言者の意図とは関係なく、発言者の許可も得ず、言語は自分の身に、あなたについてのマイナスなことを勝手にくっつけて、相手に届くように仕組んじゃうんだな。

くっついちゃうマイナスなこととは、たとえば、言語やコミュニケーションについて理解が甘いこと、それについて無自覚であること、相手も同じ認識だと決め付けていること、聞きかじりの情報を咀嚼しないこと、不用意な発言をすること、流行に乗りやすいこと、言語学習に真剣に取り組む気がないこと、浅はかな人間であること…など。

で、これらがすべて“誤解”だったとして。
あなたがその“誤解”をとくのに言語を使おうとしたところで、そうはいかないのさ。
あなたがアワアワしちゃって、言葉にならなくて、何か言えば言うほどおかしなことになったとしても、言語はあなたを助けてくれない。
そしてあなたは誤解をとくどころか、もっと悪い印象を残しちゃうのさ。
二度と「しょせん」「たかが」なんて言わないように、言語にお仕置きされるのさ。

怖いねぇ。
普段さんざんお世話になってるんだから。
軽はずみなことはやめましょうよ。
言語を大切に。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です