TED の字幕翻訳を始めて、もうすぐ1年。
今日現在、完成して公開済みの作品が16本。
公開準備中の作品が3本。
「月1本ぐらいできたらいいかな」と思っていたのに、意外と量産できてしまった。
そもそもこの翻訳を始めた動機のひとつに、「やったら進んだ、そして終わった」という目に見えて生産性のある活動をしたかった、というのがあった。
高速再生でないと変化が確認できない植物の成長並みに、まるで止まっているように見える自分の生活に嫌気が差していたのだ。
字幕翻訳が無事に1年続き、しかもコンスタントに作品を仕上げているということは、つまり生産性のない日々があいかわらず続いているということでもあるのだが、ま、それはそれとして。
TED の字幕ができるまでのプロセスはウェブ上に情報がある(参照1;参照2)。
システム等は日進月歩でどんどん更新されるので、こうした情報はどうしてもすぐに古くなってしまうが、翻訳→レビュー→承認という基本的な流れは変わらない。
私がこの1年で感じた、TED 翻訳者に求められるスキルや条件は以下のとおり。
あくまでも個人的な意見。
公式には規則も規定もないからね。
・英語力
そりゃそうだ、と思うよね。
でもボランティアなので、入口で英語のテストがあるわけじゃない。
参加したい人は誰でも参加できる。
自分の英語力をよく知らずに参加し、始めてみてビックリする人もいれば、あんまり気にしていない人もいる。
というわけで、必須ではないけど、やっぱりトークの内容を正確に理解できるだけの英語力があるとよい。
・日本語力
英語力が高く、内容を正確に理解できていても、それを日本語に表しきれない人もいる。
直訳みたいになっちゃったりね。
翻訳では日本語の語彙や表現力、センスが試される。
母語の言語レベルを測るという機会はあまりないので、英語以上に自分の力を知らずに参加する人が多い。
やってみて、他の人の日本語力の高さ(=自分の日本語力の低さ)に愕然として「もうダメだ」となる人、「がんばろう」とやる気になる人、特に気にしない人、などいろいろいる。
というわけで、これも必須ではないけど、理解した内容を自在に日本語に変換できるだけの日本語力があるとよい。
・コミュニケーション力
翻訳が公開されるまでには、翻訳者、校正者、承認者の三者で訳の擦り合わせが行われる。
翻訳は時に正解のない作業でもあるので、三者が納得できる“落としどころ”を見つけるために、しつこいぐらいの話し合いが必要となる場合もある。
メールやスプレッドシート上の、文字だけのやり取りによって、自分の主張の根拠を示したり、説明を施したり、疑問を呈したりする。
このやり取りを円滑に行うために、コミュニケーション力が必要となる。
・プロ意識
「ボランティアなので、プロ意識なんて必要ない」という考え方もあるだろうと思う。
でも、TED の日本語翻訳者チームは驚くほどプロ意識が高い。
これには、翻訳うんぬんというより、そもそもTED という活動が、すべてボランティアによって運営されながら、あれだけの質の高さを実現しているという事実が影響していると思う。
関わる以上はそれぞれが自主的に責任とプライドを持ち、「良いものを作ろう」という姿勢で臨むことが、ごく自然にできているのだろう。
TED のトークは、ほぼもれなく何らかの専門性が含まれているので、関連情報や資料などを自ら探し、基礎知識をおさえてから翻訳に着手することも多い。
手抜き作業で翻訳を提出したり、自分の力に見合わないものに手を出してわけわかんなくなったり、長く持ちすぎて期限切れになったりしても、それはそれで非難もされず、他の誰かがちゃんとカバーしてくれるが、ちょっと肩身の狭い思いをするかもしれない。
・言語感覚
上の『プロ意識』にも通ずるところだが、TED 字幕翻訳は質が高い。
元の英語を聞き、読んで、間や雰囲気までもを感じ取り、それをできるだけ忠実に表す日本語を求めて、いくつかの試案を出し、選別して第1案を提出し、レビューや承認で他の人と一緒に訳を揉みこんで、最終案を練り上げる。
「意味として間違いではないけど、いまいち」とか、「他にやりようがないので、ここは仕方ない」とか、微妙で繊細な作業をじっくりやることがあるので、「通じりゃいいんじゃないっすか」みたいな、ユルい言語感覚しか持っていない人には辛いだろうと思う。
以上5つのポイントにおいて、私はこの1年で、自分が見習いたいと思うようなレベルの高いものを何度も目撃した。
そのたび、良い勉強をさせてもらった。
翻訳は多くの時間と手間がかかるし、集中力を要するので、本業が忙しいときには休まざるを得ないけど、今後もできるだけ続けていこうと思う。