ぬるま湯の国

ぬるま湯の国、ニッポン。
良いとか悪いとかじゃなくて。

以前、ドイツに住むドイツ人大学生と、アメリカに住む日本人大学生をつないで会話させた時のこと。
卒業後の進路として、アメリカに残りたいか、日本へ帰りたいか、と聞かれ、日本人学生は、迷わず「日本で就職する」と答えた。
理由を聞かれると、「日本の方が”easy”だから」と答えた。

この”easy” は「ラク」ぐらいの訳かしらね。
その学生はアメリカに4年住み、大学での成績も良く、英語はとても上手で、感じもよく、しっかりしていて、日本語でも英語でもきちんとした受け答えのできる、いわゆるデキの良い学生だった。
プライベートなことを含め、アメリカに残る理由もありそうだった。
その彼女が出した答えが「日本の方が”easy”」。

留学にしろ、赴任にしろ、起業にしろ、日本からアメリカへ来てその厳しさに圧倒され、挫折して帰国を余儀なくされる人は少なくない。
そこだけで考えても「日本の方が”easy”」なのだが、さらにアメリカで普通に生活できて、“アメリカ帰り”という勲章を引っさげて日本へ帰れば、その後、各種特典が付いてくる可能性が高い。
これはもう、どう考えても「日本の方が”easy”」だろう。

たとえば言葉のことで言うなら、アメリカにいる間は、どんなに頑張っても英語のノン・ネイティブで、悔しい思いをしたり、疲れたり、効率の悪いことが起きたりする。
日本へ帰れば、日本語で暮らせるだけでなく、“英語ペラペラ”が有利に働く。
片や“外国人枠”の気の抜けない立場、片や気楽で、場合によってはチヤホヤされるほどの立場。
そりゃ「日本の方が”easy”」でしょう。

これを「けしからん」と言う人もいるかもしれないが、では「海外で自分の力を試したい」というのはどうだろう。
もちろん外国へ出ることは誰にとっても挑戦ではあるけど、どこかに「日本では物足りない」という思いがあるとしたら、「”easy”だから帰る」と「”easy”だから出る」は方向の違いでしかない。

海外留学、特にアメリカへ留学する学生が減っていることも、「”easy”なところに留まっていたい」という意識の表れかもしれない。
私は尻込みする学生に、いろんな“エサ”をチラつかせて無理やり外国へ引っ張り出すようなことには賛成しない。
そりゃ荒療治が功を奏して大化けするケースもなくはないけど、そうでない場合の方が多い。
本人は心に傷を負い、受け入れ側は迷惑し、“エサ”は無駄になる。
出たくないヤツは出なくて良いのさ。

とにかく、日本人の一部に、特に外国と比べたとき、「日本はぬるま湯」という共通認識があるように、私には見える。
「何をいまさら」という声も聞こえるような気がする。

私は日本を”easy”と評価し、それを理由に進路を選択することを、良いとも悪いとも思わない。
イマドキの効率重視の“賢い”考え方なのだろうと思う。
「日本の方が”easy”」は自虐でも冗談でもない。
ためらいもなく、悪びれもせず、さらっと言える“事実”。
実際、日本人同士なら何の違和感もなく通じ合えるもんね。
言われたドイツ人は返事に困っていたけどね。
ウチ(日本国内や日本人同士)ではそれでもいいけど、ソト向きに、もうちょっとマシな理由を用意しといてよ、と思うが、そういう日本的なウチとソトの区別も、恥の意識も、崩れているという徴かもしれないので、しょうがない。

仮に、ぬるま湯の国が世界に一つぐらいあったとしても、まぁいっか。
そこでしか生きていけない人もいるし、外国で傷ついた人や弱い人を受け入れて癒すのも、ひょっとしたら人類全体のためになるかもしれないし。
ただしその国は競争には絶対勝てないけどね。

アメリカで学び、英語がペラペラになって、異文化を満喫して、わかったことは「日本の方が”easy”」。
別にいいんだけどさ。
何だろうね、この虚しい感じ。

いちおう一言添えておくと、どこの国でも、ナニジンでも、トップを走っている人は勤勉で努力家で多忙を極めている。
彼らが必死に戦っている世界は決して”easy”なんかじゃない。
「どこの国でも」には当然、日本も含まれる。

さらにいちおう添えておくと、私は日本の英会話屋さんの“ネイティブ講師”が言った”Anyone can be an English teacher in this country”という言葉にカチンと来たせいで、英語教育に深入りすることになってしまった。
でもこれは別に“ネイティブ講師”に限ったことじゃなかった。

英語教育を専門にしていると言うと、「私も日本でなら、とりあえず英語を教えるぐらいはできると思うんですよねー」とおっしゃる在米日本人は、一人や二人じゃない。

もうカチンとも来ない。

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