スイッチ

「結論は出ている。
あとはスイッチをいつ押すかだけ」。

高校時代の友人Sちゃんに会った。
彼女は保育、私は英語教育と、異なるフィールドで、それぞれに特殊な経験を重ねているのだけど、彼女と私は不思議なほど同じものを見、同じような解釈をして同じように納得している。
家族の話をしても、仕事の話をしても、日本の政治やシステムや日米関係の話をしても、まるで一緒に同じものを見てきたかのように通じあうのは、たぶん根っこのところが同じだからだろう。

Sちゃんとは多くて年に2回会うだけ。
会わないとなったら何年も会わなかったりするのだが、その間にメールなどのやりとりもないので、具体的な出来事を逐一報告することはない。
そんなことをしなくても彼女は何とかやってるに決まっているから、ぜんぜん心配していない。
どうせ大変な目に遭ったり困ったりしてるんだろうけど、彼女なら大丈夫。
久しぶりに会って事後報告をかいつまんで聞くと、やっぱり大変な目に遭って困っていたのだけど、ちゃんと乗り越えて、笑っている。
で、Sちゃんも私について同じような感想を持っている。

そのSちゃんが言ったのが冒頭の言葉。

やるべきことは、とっくに決まっている。
与えられた課題にはすべて理由がある。
見ないフリはできても、避けて通ることはできない。
好むと好まざるとに関わらず、いずれやらなければならない。
問題は、自分がそれをどう受け入れ、腹をくくり、“やりますスイッチ”をいつ押すか。

気が進まないから、言い訳をする。
覚悟が決まらないから、後回しにする。
そうやって逃げているうちは“スイッチ”を押す力がない。
勇気がない。
でも、目をよく見開いて、周りを冷静に観察し、自分の気持ちの変化をきちんと読み取れば、押すべき時は必ず見える。
そして自然と“スイッチ”に手が伸びる。

そのときが来ていないのに、いいかげんに押してはいけない。
そのときが来たら決して押しそびれてはいけない。
そういうタイミングがある。

そして“スイッチ”を押してしまえば意外なほど楽になる。
もうやるしかないのだから、迷う必要もない。
そういう後のなさ、開き直って裸一貫になった状態の人には、どこからともなく味方が現れ、すべてが急に動き始める。
押す前に躊躇していたのがバカバカしくなるくらい、スイスイと前へ進むことができる。

Sちゃんも私も、そうやって“スイッチ”を押してきた。
そして今また新たな課題を突きつけられている。
“スイッチ”があるのも見えている。
これを乗り越えると、成長につながることもわかっている。
でも、まだ押せない。
「絶対無理」「一生押せない」なんて無駄な抵抗をしている。

が、そう遠くないいつか、押す日が来ると知っている。
しぶしぶ、泣きながら押すのかもしれない。
あるいは何のためらいもなく、ヒョイと押すのかもしれない。
そして、それは明日かもしれない。

その時が来たら、ちゃんと押す。
押しそびれて後々自分を苦しめるようなことはしない。

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