雑な扱い

雑に扱われるということ、について。

先日のブログのなかで、「”Testimonials” を”Voices”に修正された」ことを書いた(参照)。
これ自体はブログの主題ではなかったのだが、「英語の専門家を相手に、ウェブサイト制作者が、よりによって英語の修正をするとは大胆不敵」というようなコメントをいくつかいただいた。

私は本人なのでそうは思わなかったのだが、ま、言われてみれば確かに。
私が逆の立場なら、間違いに気づいてもまず下調べをして、間違いだと確信しても、たぶんかなり慎重に持ちかけて、「もし必要なら修正もできますが、まずはご確認いただきたく…」という感じの回りくどいお伺いを立てるだろうと思う。

が、今回は非常にさっぱりと、「よりわかりやすく、修正しときました!」ってなことだった。

これ、いろんな考え方があるだろうけど、私は、とってもいいと思う。
振り返って考えれば考えるほどいいことで、ありがたいとさえ思う。

人はただ年齢を重ねるだけで、何もしなくても丁重に扱われることが増える。
気を遣い、腫れ物に触るように、周りが距離を置く。
それはもう、自動セットでそうなので、避けようがない。

たとえば、そういう扱いを受けることを快感と感じ、“お客様は神様”文化に乗っかってお客の権利を殊更に主張したり、ちやほやしてくれる取り巻きの言うことを真に受けたりしていると、だんだん、自分は丁重に扱われて当然だと思うようになるかもしれない。
自分のステータスが上がったように勘違いしてしまうかもしれない。
「自分は偉いんだ」と思い上がれば、雑に扱われることを不当とみなし、ちょっとしたことで怒りを覚えるようになるかもしれない。

尊敬を強いれば、それらしいものは勝ち取れる。
雑な扱いを禁止すれば、試みる人はいなくなる。
そして、一見、快適な環境が整う。

でも、それってまずいよね。
現にそれでまずいことになってる人、たくさんいるもんね。

逆の場面を考えてみよう。

たとえば、天皇陛下をアゴで使うチビッコや、大統領にタメ口をきく若者がいたとして。
その場に居合わせた大人はザワつき、チビッコの親や若者の教師などは慌てて間に入って取り繕おうとするかもしれない。
「もう二度とあんなことしちゃダメよ」という教育を施すかもしれない。
いつか本人たちも「失礼なことをした」と後悔するのかもしれない。

しかし、ここで注目されるのは、未熟な若者が、未熟なまま近づいても大丈夫な空気を醸し出し、未熟さを許し、笑顔で受け入れる天皇なり大統領なりの器の大きさだろう。
その姿によって、ハプニング自体が丸ごと微笑ましいものになり、その場はほんわか温かい雰囲気になる。

“無礼防止”の厳戒態勢で警戒している人の身には始めから起きようのないハプニングだが、もし起きることがあれば、その場には何らかの“制裁”が生まれ、居合わせた人たちにもれなく嫌な思いをさせる。

日々、ナメられないようにピリピリして、緊張感と威圧感をまとって周りを抑えこみ、持ち上げられることを好み、見下されることを取り締まり、自分に対する非礼や無礼を敏感に察知するような人は、気に障ることがあれば「おのれ、許さん」と刀を振りかざす。
そうすることで自分の力を顕示できるし、そうしなければ立場が危うくなるのだろう。

で、これがびっくりすることに、別に江戸以前の殿様の話じゃないんだよね。
現代のクレーマーとかモンスターとか、よくわかんないプライドの高い人とか。
まとめると「自分に対する尊敬が足りない」ってことで怒る人、結構いるんじゃないかな。

雑に扱われることも、非礼や無礼を受けることも、ウェルカムな空気をあらかじめ保っておく。
何か起きても笑って流す。
ハプニングをむしろおもしろがる。
そっちの方がカッコいいと、私は思う。
年を重ねても、専門性が高まっても、地位や名誉が付いても、そういう扉を開けたままでいる大人の方が素敵だと思う。

「雑な扱い」への2件のフィードバック

  1. 一昨年正月の「サービス」という記事とともに、とても共感しました。
    ただ、よくいるのは、日本のホテルや飲食店などではすぐに声を荒げて怒るくせに、米国では青菜に塩のようになっちゃう人。
    「本当にひどい扱いで腹が立ったんなら、日本語でいいから怒ったら?」と言っても、ただ打ちひしがれてるだけ。
    その分裏側では、彼の妙なプライドに燃料が補給されて、日本に帰った時にひどいことになったりします。

  2. ふむ、takさんも「彼」と書いていらっしゃいますが、そういうのって男性に多そうですよね。内弁慶なんでしょうね。

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