ホームシック

そういえば、私のホームシックは治ったみたい。

最近また留学初期のことなどを振り返る機会があり、ふと気づいた。
今の私はもうホームシックじゃない。

ホームシックが自然に治癒するのか、治癒にかかる平均的な期間があるのかわからないけど、私のホームシックは4年ぐらい重症のまま横ばいで、その後1-2年でみるみる軽くなり、日本を離れて8年目の現在「そういえば」と言えるほどよくなった。
ま、4年も患ってたのがおかしいんだろうけどさ。

毎日毎日、日本へ帰りたくて、一時帰国の日を指折り数えていた。
アメリカで暮らすのは二度目だし、言葉にも文化にもさほど困らず、助けてくれる友達もいて、スカイプもあって、学業も社交的なことも充実していたけど、ホームシックの緩和には役立たなかった。
帰国したらしたで、もうアメリカへは戻りたくなくて、戻る日が近づいてくるにつれ、どよーんと暗くなっていた。
帰国の予定が短縮されアメリカへ連れ戻される悪夢を見て、帰国中なのにホームシックを実感したこともあった。

帰国初日はうれし泣き、最終日は悲し泣きで、日本の空港で毎年4回泣いていた。
アメリカ行きの飛行機に乗り、座席でさめざめと泣いていたら、日本人の女性乗務員にハンカチを渡されたこともあった。
いまどき何の珍しさもない日本→アメリカの移動を前に、いい大人がいかにも悲しそうにしていたから、よっぽど辛い別れがあったと思われたのだろう。
さすがに恥ずかしくなって涙が引っ込んだ。

とにかくそのくらい私のホームシックは強烈で、外国暮らしが終わるまで治ることはないだろうと思っていた。

それが、ケロッと治ってしまった。
どういうことなのか、考えてみた。

まず、私のホームシックは「日本に帰りたい病」、つまり「ホーム“カントリー”シック」の略だったということがポイントだと思う。
実家や家族は大事だし、両親には申し訳ないけど、「ホーム」は病気になるほど恋しくはないんだな。
現に、高校卒業と同時に一人暮らしを始めて以来、日本にいる間にホームシックに罹ったことはない。

で、なぜそこまで母国が恋しかったかと言うと、私の日本への憧れが強すぎたのだろうと思う。
日本人の私が「日本カブレ」を自称しても冗談にしかとってもらえないが、当時の私は本当にそうだった。
完全に目がハートで、日本に関することは何でも、世界一優れていて、素晴らしくて、カッコよくて、最高だと信じて疑わなかった。
英語なんかより日本語の方が断然魅力的だし、アメリカにもまったく興味がなかった。
英語もアメリカも、日本に入ってきているから、日本に対する愛のおこぼれ程度、ついでに意識しているだけで、もし英語やアメリカが日本と関係していなかったら、私は見向きもしなかったと思う。

その日本から私は引き離され、好きでもない場所で興味のないことにさらされ、それでも「日本のためだ」と歯を食いしばって我慢していた。
それが重症ホームシックの4年間だったのだと思う。

ではなぜそれが解消したのか。
それは、私が日本に幻滅したから。
日本は私が思ったほど優れてもいなければ、素晴らしくもカッコよくもなく、最高でもないと気づいちゃって、“カブレ”が取れちゃったんだ。
私のアメリカについての評価はあいかわらずなんだけど、「まぁ、どっちもどっちか」と思ったら、そんなに日本を恋しがる必要がなくなったんだよね。

今でも日本のことは好きだし、帰国は楽しみだし、日本の味方には違いないし、できるだけ弁護もするけど、以前のようなアツいラブな気持ちはもうない。
すっかり冷めちゃったのよね。
ごめんなさいねー。

たぶんやっと普通になったんだろうけどさ。

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