岐路-1

岐路という概念を持たない人。
岐路に立って動けない人、選んで進む人。

このところ、進むべき道が目の前に開いているのに、理由もなくその手前で立ち止まっている人をよく見かける。
そうこうするうちに事態は変化し、かえってややこしいことに。
私にはそう見えるのだが、どうやら本人にその自覚はないようだ。
これはいったいどういうことなんだろう、と考えていたら、タイミング良くヒントをもらうことができた。

まだかなり散らかってるんだけど、鮮度の高いうちに取り上げたいので書いておく。
毎度おなじみ、素人の自由な分析と解説。
長いので、何回かに分けて書く。

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数年ぶりにKから連絡があり、「大きな転進・転身予定」ということで話を聞いた。
確かに地理的にも職業的にも精神的にも大きな変化で、一般的には『岐路』に立っていると言ってもよさそうなのだが、どうやらK本人は全然そうは思っていない様子。
で、尋ねた。
Kの世界観では『岐路』ってどう説明する?
ていうか、『岐路』ってある?

Kには『岐路』という発想すらなかったようだ。
道はいつでも一つしかない。
その先にある“最終地”に近づいてさえいればオッケーで、途中でどこをどう通ることになっても大した問題ではない。
今回の転機については、「長らく工事中だった道がようやく開通した」ぐらいに感じているらしい。

なるほど、なるほど。

大多数の人は“最終地”が見えていないので、Kと同じような状況で『岐路』に立つことになるのだと思う。
Kには1本に見えている道が、多くの人には二手に分かれているように見え、それぞれの先には二つの異なる終点があるように感じる。

さらに、『岐路』に立つ人の中には、迷う人と、迷わず進む人がいる。
そして、そのそれぞれに少なくとも2つのタイプがあると思う。
そこで、『岐路』の捉え方とその後の対応によって、以下の5タイプに分類できるのではないか、と考えた。

1. 岐路ナシ
2. 岐路アリ・迷い型A
3. 岐路アリ・迷い型B
4. 岐路アリ・進む型A
5. 岐路アリ・進む型B

Kのように“最終地”が見えていて、道は1本と思っている人は1. 岐路ナシというわけだね。

つづく。

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