「『あなたの考え方は理解できない』と言われませんか?」と聞かれた。
多くの人は自分の都合、自分の感情を基準に行動を決めている。
この段階にいる人には、「自分のことはどうでもいい」「他人のために心を砕く」「無償の愛」「与える喜び」などの意味がわからない。
自分基準の段階を卒業するまで、わからない。
「理解できない」と言われる場面では、相手の反応によってより適切な方法を選んで対処する。
反応は2通り。
その1:尊敬型
「すごいなぁ」「自分もそうなりたい」と言える人は、他人基準との初めての出会いに驚いてはいるけれど、すでにその存在を受け入れているので、卒業は近い。
最初は理解する回路がなくても、同じことを繰り返し見聞きしたり、似たような他人基準の人と出会う機会を数多く持つことで、理解の回路ができ、強化され、理解できるようになる。
時間はかかっても、きっと成長するので、愛情を持って、根気よく取り組むのがよい。
その2:否定型
「そんな人間いるはずない」「嘘だ」「偽善だ」「きれい事だ」と否定する人、またその延長として、「化けの皮をはがしてやる」と攻撃に出たり、「騙されないぞ」と心を閉ざす人は、他人基準の存在そのものを拒絶している。
これは、他人基準を認めてしまうことによって、本人の抱える問題、たとえば劣等感や寂しさ、怒りなど、ずっと押し込めてきたマイナスの感情のマグマが一挙に噴火しそうな予感があるために起きる反応。
噴火を恐れ、それを抑えこむために臨戦態勢をとる。
つまり、否定や攻撃、不信は、鎧を着けた恐れなのだ。
このタイプの人とは、まぁ平たく言えば相性が悪い。
程度によるが、特に攻撃などがひどい場合には、特別な事情がない限り、とにかく離れるのがよい。
むやみに関わってしまうと、自分がケガをするだけでなく、こちらにそのつもりはなくても「存在自体が腹立たしい」というような片恨みを相手に持たせることになる。
相手のマイナスの感情を増幅させ、どんどん引き出すのは悪趣味だし、「見ないで!」「触らないで!」というものは見ない、触らないのがマナーであり、思いやりでもある。
お互いのために、できるだけ関わらないようにする。
なるほどー。
勉強になりました。
人は成長が進めば進むほど、孤独になり、できることは減り、待つ時間が長くなる。
解決できないことを、解決できないままに、静かに抱きしめていかなければならない。
悲しみ、切なさ、空しさに直面する機会が増える。
それに耐えられなければ成長はない。
じゃ、しょうがない。
>人は成長が進めば進むほど
>孤独になり、できることは減り、待つ時間が長くなる。
これを 「成長している証」 と思うことができれば、耐えられるのですね。
そうですね。そういう捉え方もあると思います。すべて成長の通過点ですからね。
ただ私は一つの到達点として考えているので「成長した証」の方がしっくり来ます。一人になる、無力を認める、見守る、その意味がわかって一段落、耐えるのはまた次の課題というイメージです。