決心するときの方法が変わってきた。
ひとりじゃ決められない私が長年使ってきたのは、多数決方式。
①「どうしたらいいと思う?」と広くいろんな人に聞く
②得票数の多い意見に従う
アメリカへ行く、アメリカに残る、大学院で教える、事業を始める、など大きなことは特に。
このブログに書いていることも書いていないことも、何か決めなくちゃならないときはずっとそうしてきた。
まぁそもそも私はネガティブ思考全開の超後ろ向きなので、決断を迫られると「できればやめておきたいなぁ」と思う。
やりたかったら別に迷いもせずにやるから、迷うということはやりたくないんだよね。
が、投票にすると「やめときな」は私からの1票しか入らない。
あとはみんな「やってみな」。
で、しぶしぶやってみることになる。
やりたくないけど、しょうがないからやる。
「本当かよぅ」と思いながら、恐る恐るスタートを切る。
まぁそうでもなかったら、外国嫌いの私がアメリカへ来ることもなかったし、勉強嫌いと思い込んでいた私が研究をすることもなかったし、丸の内OLを目指していた私が事業を立ち上げることもなかったわけで、今となっては投票してくれた人たちの読みに感謝するばかり。
多数決を信用してきてよかったと思う。
ではあるのだけど。
最近、この多数決方式を使わなくなってきた。
いや、多数決はあいかわらずベースではあるのだけど、多数だからといって即、決にならない。
絶対的な決定権がなくなって、参考資料止まりになってきた。
アンケートをとるにしても投票してもらうにしても、いつまでも大勢に参加してもらえるわけじゃなし。
広く意見を募るのに不適切な案件もないわけじゃなし。
決め方は変わるべくして変わったのかもしれない。
実際に「どうしたらいいと思う?」と聞いてまわることはせず、聞いたらこう答えるだろうなぁ、こういう票を入れてくれるだろうなぁと想像して、当選しそうな意見を絞る。
で、それはそれとして置いておく。
それから、ごく少数の人たちに、「こうやって迷ってるんだよね」という経過を話す。
話しながら、自分の希望がどこにあるか確認する。
そして、置いといた仮想多数決の結果を出してきて、自分の希望と一緒に並べる。
相談相手には選び方のヒントをもらう。
それから各候補のメリットとデメリットを挙げ、一人でじっくり考える。
どれになっても良いところ・悪いところはそれぞれある。
どれを選んでも正解。
そう思えるところまで行けば後悔することはない。
で、ひとまず「これかな」というところに行き着く。
次に、ここで選択を迫られていること自体の意味を考える。
いま選んでいること、選んだ結果は後々どこでどう効いてくるのか。
本当に必要な選択肢なのか、信念に揺さぶりをかけるだけの単なる一時の誘惑なのか。
それがわかると「なぜこれにするか」、納得がいく。
すると、決まる。
仮想多数決の結果に反する場合は、仮想投票者を説得しにいく。
経過を説明して、誠実に思いを伝えて、「そう決めたんならそれでいいんじゃない?」と言ってもらう。
自分で決めちゃう怖さはあるし責任も感じるが、「本当かよぅ」という疑いはない。
決めたからにはそれに従うしかないしね。
大人になったのか、自分勝手になったのか。
両方かな。
とにかく、しばらくはこの方法でやっていく。