続・理系・文系 (完)

イヤ、完結したのだよ。
完結したんだけど、続いちゃった。

日本式の「理系・文系」の区分について、自分の体験からモヤモヤ感じたことを書き記してきたが、このたび問題の本質がどこにあるかを突き止め、その根があまりにも深く、手に負えないことがわかったので、「もうやーめた」の意味で“完結編”を書いた(参照)。

そしたらそれに対してtakさんが、『理系/文系 (蛇足)』(参照)を書かれた。
学問的なカテゴリーとしては一件落着だとしても、キャラとしての「理系/文系」の問題は依然として残り、特に「理系なことをやっている非論理的な人は困ったもんだよ」というお話をされている。

で、それに触発されて、これを書いている。
いわば、『理系/文系 (蛇足)』の蛇足。

私周辺のいわゆる理系の人たちは、何を隠そう、takさんの分類でいうところの「感覚的職人派」だらけ。
本人たちにその自覚はない。

感覚的な人はゴリゴリの理系にも、どっちかというと文系にも、どちらでもない系にも、どこにでもいるが、takさんのご指摘どおり、ゴリゴリの文系には少ないかも。
自然科学~社会科学~人文科学と並べると、左へ行けば行くほど「感覚的」になる、というのが私の個人的な感想。

私は相手にないものを補い合うのが会話の醍醐味であると思うし、会話中の整頓作業が得意なので、感覚派と話すことを楽しめる。
相手の発言を理解したり、欠けている情報を補ったりするために、定義や意図を確認することが苦にならない。
「聞いちゃ悪いかな」と躊躇うこともない。
だから相手が「いちいち面倒くせーな」と思わずにさえいてくれたら、こちらで整頓して、わかりやすく、よく伝わる会話を成立させ、結果的に「うまく説明してもらった」という事実に仕上げることができる。
生では食べられないけど、火を通せばおいしい、みたいな。

これ、元はといえば、家庭環境のせいだろう。
私の両親は二人とも強めの感覚派なので、私に向けられた発言は“翻訳”して理解し、感覚派どうしの両親の間に入って“通訳”するということを育つ過程で日常的にやってきたのだと思う。
そして今やコミュニケーションを専門にしちゃってるしね。

ではこの整頓作業をあまり必要とせず、“論理的”に話してくれる人はどんな人かな、と考えてみる。
たとえば私がお世話になっているカウンセラーは、工学博士から心理カウンセラーに転身した人で、人間関係や感情の動きを図解で示し、解説するのが上手。
執筆や教育にも積極的に取り組んでいる。
また、私の好きなタイプの美容師さんは、パーマやカラーリングの仕組み、立体的なカットの技法などプロのノウハウを、なにげない会話の中にさらっと織り込んでくる人。
このように、理系な要素を多分に持ち、文系の技術が高い人の話は、聞く側が手を加えなくても、そのままでよくわかる。
刺身で食べられる。

言語や文化、学問についていつも鋭い指摘をされているモジログのmojixさんは、ご自身のことを「理数的人文系」と分類し、「理系・文系で真っ二つにされる日本では、こういう人間にはあまり居場所がない」と書いていらっしゃる(参照)。

だとすると、「理系・文系」は放っておけない問題なのではないか。
「理系=論理的」と勘違いしている感覚派と、文系を中心に感覚派を自認している感覚派ばかりがいて、論理的にものごとを説明できる人の能力が生かせない国。
理系の知識を備えた優秀な人たちが集まる場所では、それが家庭であろうと、教室や職場、研究所であろうと、論理的に説明できる人もいなければ、感覚派どうしの間に入って通訳できる人もいない。

恐ろしいね。
そんな場所では、おそらく教育は立ち行かないだろう。
業務にも支障をきたす。
言語やコミュニケーションをやっておくと、“池上さん”みたいな解説業で派遣先に事欠かない、っていう時代が来るかもよ。

「理系・文系」を解体して、たとえばアメリカのような区分にすると、とりあえず「理系だから論理的なはず」とか、「文系は役に立たない」とかいう神話は崩せるかもね。
もちろんそれだけで解決するほど問題は単純ではないけど、「そういうの、関係ないんだよ」というところから始めるしかないし、そのためには、今ある区分を解体するのが有効かなと思う。
文武両道ならぬ、文理両道(参照12)も悪くないけど、理系でも文系でもない、第三の分野を作ったほうがよさそうだよなぁ。
(そもそも「文武両道」も、日本的の最たるものだしさ。)

ま、何にしても、ものすごく大変なことだ。

ただ、「理系・文系」を保ったままのグローバル化はありえないので、やるなら早めにやったほうがいいよね。
最悪のシナリオは、「理系・文系」の区分に何の疑問も持たず、むしろその恩恵にあやかって安住している人たちが、よくわからないままグローバル化を進めること。
絶対に途中のどこかで「あ、自分たちの立場が危ない」と気づいて、慌てて歪な方向転換をすることになるからね。

それにしても、うーむ。
「もう、やーめた」「知ーらない」で逃げようと思ったのに。

「続・理系・文系 (完)」への2件のフィードバック

  1. >私周辺のいわゆる理系の人たちは、何を隠そう、
    >takさんの分類でいうところの「感覚的職人派」だらけ。
    やっぱり、そうですか。多いですよね。

    >「理系・文系」を解体して、たとえばアメリカのような区分にすると
    >とりあえず「理系だから論理的なはず」とか
    >「文系は役に立たない」とかいう神話は崩せるかもね。
    同感。まことにまことに、同感。

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