自然

自然の流れに任せることと、逆らうことについて。

健康志向(参照)とかなんとかで、「体に良い」という食品が次々と発表されて流行る。
Food Faddism(参照日本語版)はアメリカにももちろんあるけど、現代日本人は特にひっかかりやすいと思う。
メディアに煽られ、ブームが起き、メーカーが困惑し、次の食品が紹介され、ブームが去る、のパターン(参照)。
伊那食品の塚越社長が寒天ブームについて語っていたなぁ(参照)。

納豆、ココア、トマト、塩麹、生姜…。
そりゃまぁ人間が長年食べてきているものだから、どっか良いとこがあるだろうよ。
いちいち過剰反応するほどのことでもないでしょうに。

メディアが万人向けに発信する情報に、人々がこうも簡単に振り回されるということは、自分が何を食べたらいいのか、つまり、自分の体が何を欲し、何を吸収したがっているか、わからない人が多いということなのだろうか。
メディアが垂れ流しする過激な情報に無防備にさらされているうちに、五感が鈍って、自分の体が発信するメッセージを聞き取れなくなってしまったのだろうか。

私は何かにつけて、自然の流れに従っていれば間違いないと思う性質。
自然を絶対視しているといっても過言ではない。
だから、食べたいものを、食べたいときに、食べたい分だけ、おいしく食べていれば大丈夫だろうと思っている。
「今日はどんな調子?」と自分の体に尋ねれば、肉なり野菜なり果物なり、必要なものを教えてくれるから、それを入れてやればいい。
苦手なものが指定されることもあるが、分け隔てはできないから、しぶしぶ入れる。
メディアが言うから、みんなが食べているから、売れているから、という理由で(しかもこれらは同じことの言い換えでしかないし)、食べたくないものを食べたりはしない。

ま、いずれにしても寿命が来るまでの短い間のことだからね。
それぞれ好きにすればいいさ。
大したこっちゃない。
個人的に、私は不自然なことはしないというだけのこと。

このことは食べ物ばかりではなく、日々の暮らし全般、人生のあらゆる局面において言える。
自然の流れには従うより他に選択肢を知らない。
逆らっていいことなどあるわけがない。
私は『自然の流れ』を試練を与えてくださる『修行のカミサマ』*と混同している。

カミサマが授けてくれるものの中には「えぇ?」ってのもあって、もらったときは納得いかないこともあるけど、私が耳を澄まし、目を見開いていれば、必ずヒントをくれる。
後で「あぁ、そういうことだったのか」とわかる日が来る。

人には試練が与えられるようになっている。
嫌なことも辛いことも、デフォルトで組み込まれている。
普通にこなすのが当たり前。
カミサマに有望と見込まれ期待されている人は普通の人より多めに試練を与えられるが、試練ゼロという人はありえない。
そんな意味のない実験をするほどカミサマは暇じゃない。

試練を避けたり逃げたりすることも不可能ではないようだが、そういう人はそれなりの結果に終わる。
これも自然なこと。
どんなに自然に逆らって、不自然な動きをしても、もがいても、やっぱり最終的には自然に逆らえないのだ。

そうやって腹をくくることができれば五感は回復し、自分に必要なメッセージが聞こえるようになるだろう。
メディアが送りつけてくる毒々しい情報になど、目もくれなくなるだろう。

生まれつき臆病な人はいない。
生まれつきやる気のない人はいない。
自然にしていれば、人は前進し、冒険し、成長し、科学や技術は進歩し、人類は進化する。
そういうふうになっている。

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