TED Speakers と、いま話題の虚偽事件のこと。
ビデオを使った授業アイディア(参照)に翻訳デビュー(参照)と、このところ立て続けにTEDのことを書いている。
今日はTED Speakersの素晴らしさについて。
TEDの活動については公式サイトに説明されているとおり(参照)。
世界のどこからでもいつでも無料で楽しめる、高度に知的なエンターテイメントだ。
講演者の中には芸術家や経営者もいるが、大学教授などの研究者・学者が多い(参照)。
それぞれの専門分野で学術的に裏打ちされた内容を、一般向けに希釈して披露している。
だから講義や学会発表ほどのマニアックさはなく、素人でも楽しく聞けるようになっている。
専門的な事柄を織り交ぜつつ、専門的になりすぎないようにして一般の人に向けて話す。
これは専門家同士で話すより難しいと思う。
専門家が専門家に向けて話すときには、程度の差はあれ、聞き手を圧倒することが目的である。
その場にいる誰よりも優位に立つことが必要とされる。
自分のやったことがいかに有益かを全力で主張する。
個人の名前や所属団体名、誰に師事したか、受賞歴、論文の掲載歴、本の出版歴なども、他の専門家との差別化をはかり、他を圧倒するために役に立つ。
それは、土俵の上で相手を倒す力士のイメージ。
持てる武器をできるだけ有効に使って自分の強さをアピールし、相手をにらみつけ、威嚇して、ビビらせて、批評や反対意見を見事に跳ね退ける。
尊敬を積極的にもぎ取りに行くという構えで、いわば腕力で“爪跡”を残すことにより、勝ち星を獲得していく。
ところが一般の人たちに向けて話す場合は、相手をビビらせ、なぎ倒しても勝ち星はつかない。
聞き手に興味を持たせ、身を乗り出して聞いてもらえるように、相手のほうからこちらへぐっと近づいてきてもらえるように、相手を惹きつけるように話さなければならない。
腕力より繊細で複雑な力が要求される。
自身の専門性を抑え、聞き手の目の高さで話す専門家に対し、聞き手は自然と敬意を抱き、勝手に圧倒される。
専門家が肩書きや知識や経験の量を見せびらかさなくても、その場にいる人たちは専門家の実力を鋭く見破って、「なんだかわからないけど、この人はすごい」と理解する。
一般の人たちにはそういう不思議な能力がある。
その意味で、専門家は騙せても、一般の人は騙せないのだと思う。
件の虚偽の人も、一般の人たちに“審査”してもらう機会があったら、もっと早くに底の浅さがバレて、ひょっとしたら反省して、これほどの大事に至らずに済んだかもしれない。
健全な一般人としての本能が退化してしまった自称専門家や、なんでもすぐに納得したがる思考停止族に囲まれていて、審査の機会を得られなかったのだろうか。
TED Speakers の中には、各国のトップ大学の出身者や教員もいるだろう。
ハーバード大学の研究員や講師経験者もいるだろう。
でも彼らがすごいのはその肩書きがあるからではない。
そんなことをいちいち誇示しなければならないほど、あるいはその肩書きに酔いしれて愚行に走るほど、彼らのプライドは低くない。
専門家同士の“競技”に勝ち、一般の人たちを魅了する。
本物にはその両方ができる。
『東大病』(参照)をこじらせたのかなと思う。
外国、特にアメリカが絡むと無条件に高い評価を与えてしまう、日本社会全体のおかしな風潮の被害者なのかなとも思う。
それでも彼に同情の余地はない。