いのち

『いのち=時間』。
なるほど、これで説明がつく。

「いのちとは、自分が使える時間のこと」。
日野原重明氏の言葉である。

『いのちの授業』と題し、彼は国内外の小学校で「いのち」を教えている。
「使える時間を持っていることが、生きている証拠」。
そして、こう提案する。
「大きくなったら、きみの持っている時間を、他の人のために使ってみてはどうか」。

『いのち=時間』。
これ以上に明快な答えがあるだろうか。
そしてその使い方によって、人は自らの成熟度を曝け出すのだ。

子どもは時間を自分のためだけに使ってよい。
食べたいものを食べたいときに食べ、眠くなったら寝る。
寂しくなれば甘え、邪魔になればそっぽを向く。
他の人の時間を奪ったってかまわない。
夜中だろうが、都合が悪ければ泣いて誰かを起こす。
自分のできないことを誰かに頼み、代わりにやらせる。
うまくいかなければ癇癪を起こす。
周りが疲れようと困ろうと知ったこっちゃない。
それで当たり前だと思っている。

やがて子どもは少し大きくなると、自分の時間を他の人のために使えるようになる。
誰かにあげるために絵を描いたり折り紙を折ったりする。
お手伝いをしたり、誰かを想ったりもできるようになる。
お金を貯めて、買物にでかけ、プレゼントを選んだりする。

さらに成長すると、子どもは他人の時間を尊重するようになる。
他人の時間をむやみに奪ってしまわないように、自分でできることは自分でする。
頼みごとはなるべく相手の負担にならないように工夫する。
遠慮や我慢を覚える。

そして、自分ひとりでは生きていけないのだと気づく。
自分が生きていくために必要なモノや仕組みなどのすべては、誰かが時間を使ってくれた結果、ここにあるのだと気づく。
心配してくれる人、世話してくれる人、慰めてくれる人、楽しませてくれる人は、皆それぞれの時間を自分のために割いてくれているのだと気づく。
そして、それに感謝できるようになる。
いつか自分も同じようなことをしたいと考える。

自分の時間を他の人のために使う喜びを知ったとき、人は大人になる。
自分の時間が削られることを惜しむどころか、誰かのために使う時間を持っていることこそが幸せだと感じられるようになったとき、人はようやく、いのちを与えられた意味を知るのだと思う。

「忙しい」「そんな余裕はない」と自分の時間が足りないことを主張して、1秒たりとも他人に利用されないように戦々恐々としていたり、「なんで私ばっかり」「面倒なことはごめんだ」と自分の時間を提供することを拒んだり、「もっと、もっと」とせがんだり駄々をこねたりして、隙あらば他人の時間を我が物にしようと企んでいるうちは、成熟への道は遠い。

いのちは、時間。
上手に使える素敵な大人になりたいと、心から思う。

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