『日本人に一番合った英語学習法』、2時間ほどで一気読み。
本書で述べられているポイントは以下の2点。
①日本人にとって英語を習得することは極めて難しい。
②日本人の英語教育には文法・読解を徹底的にやるのが有効。
①は歴然たる事実であり、軽薄なコピーにまんまとだまされて、英語は楽しく、短時間で誰にでも身につくものだとか、ある朝起きたらペラペラになる可能性があるなどと、本気で信じてしまう人たちへの叱咤であり、わけもなく英語に憧れ、「英語帝国主義」(p.147) に易々と飲み込まれていく日本社会への警告であり、浅はかな英語公用語化、安直な小学校英語の導入、いいかげんな英会話ビジネスなどに対する痛烈な批判である。
②は本書のサブタイトルでもある、『明治の人は、なぜあれほどできたのか』という調査・研究に基づく著者の意見であり、“コミュニケーション”一辺倒の昨今の英語教育に対する挑戦である。
文法や読解を軽視し、「低級な『英会話ごっこ』」(p. 128) に興じる日本の英語教育を憂い、著者は「多くの時間と労力と予算を投入して、日本人全員を『日本ピジン英語』話者にするのは、あまりに愚かなことではなかろうか」(p. 120) と述べている。
どちらも大賛成。
スタンディングオベーションしたい気分。
細かいことを言えば「臨界期」(p. 80) や「脳科学」(p.81, 137)についてなど、ところどころ結論に粗さがあり、言及に危うい部分がある。
が、全体としては「よくぞ言ってくれた!」とうれしくなるような意見で、「英語の呪縛」(p. 6) によって身動きできなくなっている日本の英語学習者たちにぜひ読んでほしいと思う良書である。
興味深かったのは著者自身の英文(p. 167-171)。
英語教育における日本語(母語)および日本文化についての教養、文法や読解(訳読)の重要性を説くだけあって、その英文は“お手本”に値するものだと思う。
しかし、Discourse が日本的なのが気になった。
日本語の文章や日本人の書く英文に慣れていない外国人には、やや読みにくいかもしれないと思う。
明治時代の英語の達人たちの学習経験と結果を基に『日本人に一番合った英語学習法』を提案しているわけだから当然だが、おそらく著者はこうした日本語からの翻訳に近い英語を、日本人が習得すべき理想と考えているのだろう。
ま、それはそれでアリなんだけど、やっぱり少し現代日本人向けに味付けを変える必要があるんじゃないかしら。
会話をとっかかりに文法をゴリゴリやる、という私のアイディアを著者がどう思うか、聞いてみたいな。
個人的にはこの言葉に勇気付けられた。
「日本人に一番合った学習法は、やはり日本人が開発したものでしかないのである」(p. 144)。
がんばります。
斎藤兆史. (2006). 日本人に一番合った英語学習法:明治の人は、なぜあれほどできたのか. 祥伝社.
興味深い方法ですね。英語はやっぱり難しいですもんね。
えーと…。
英語そのものが難しいかどうかはここでは議論しないでおきます。
コメントありがとうございました。