“平等”主義

日本の学生が考える“公平”や“平等”について。

私のデータ収集の件でH先生と打ち合わせ中。

今回のデータ収集ではH先生に全面的にご協力をいただき、先生の担当する4つのクラスの学生のなかから被験者を募集することになっている。
募集に当たり、H先生から、「お金では動かないから、インセンティブは効果がない」「参加すると言っておいて当日欠席するのは普通」「すでに拘束されている時間の範囲内でないと捕まえにくい」など、イマドキの日本人学生に“お願いごと”をするときのコツを教わった。

ふぅむ。
私はH先生のカリキュラムに入り込むつもりはなかったので、時間的にも場所的にも授業外を想定していた。
そのほうが学生も参加しやすいのではないかと思っていたのだが、どうやらまったく逆のようだ。
授業外の奉仕活動となると、まず学生は嫌がる。
自分の“自由な”時間を時給換算し、プロジェクトに参加することがどれくらいのメリットになるか、計算する。
時給に見合うだけのメリットを感じられなければ、やるだけ損、というわけだ。
内田樹氏に言わせれば、これこそが『消費者マインド』による自己への『抑圧』である(参照)。

「授業の時間を使ってでないと、参加は見込めない」というH先生の言葉に従い、授業内、学内で実施することになった。
授業の邪魔をするうえ、短時間のうちに次々と収録を行うことになるので、私にとってもあまり良い話ではないのだが、参加者がいなければ元も子もないので、致し方なし。

そして具体的なスケジュールを詰める。
時間や機材の都合上、無理なく安全に行うためには、授業1回あたり4-5人を抽出するのがもっとも適切と思うので、そのように提案した。
各クラスからは7-8人の参加を予定しているので、参加者を2グループに分けて先発組と後発組を作ればいい。
先発組は今週、後発組は来週、といった具合。

すると「それでは不満が出る」とH先生。
え?

「クラス全員に、同じ回に同じことをしないと不満が出る。
面白いことだと参加しなかった学生が不満に思うし、キツイことだと参加した学生が不満に思う。
つまり、たいていは両方が不満を残す。
同じことを今週と来週にやる、というのでも不満が出る。
イマドキの学生はこうした扱いの均一性について過敏な反応を示すので、それは徹底的に避ける必要がある。」

おぉぉ。
面倒くさいねぇ。

自主的な参加を募るわけだから、やりたい人がやり、やりたくない人はやめておけばいいじゃない。
やるとなったら私は今週、あなたは来週でもいいじゃない。
全員が同じことを同時にやらないと不平等?
あの人が面白いことをして、私がしなかったり、私がキツイことをして、あの人は免れたりするのは不公平?
おかしいでしょ。

そして大人がコドモの不満を回避するために“公平”で“平等”なお膳立てをしてしまうことも、教育のチャンスを逃し、悪循環を促進するのだろう。

とは思うのだけど、今の私の立場ではどうすることもできない。
とほほ。

というわけで全員が同じ日に同じことができるよう、複数同時進行でなんとかやります。

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