ラケット感情

感情には本物と本物じゃないのとがあるそうだ。

で、その本物じゃないほうを『ラケット感情』と呼ぶ。
Transactional Analysis(TA; 交流分析)という分野の用語。
『Racket feeling』『ラケット感情』というキーワードで検索すれば、定義などを説明したサイトがいくらでも見つかる。

TAネットワークというところの用語集によると、ラケット感情とは「幼い時に、親の愛情を得る手段として形成された一種の感情の条件反射」「幼時に身につけた本能的感情的生活の歪み」(参照)。

以下、素人の私の解説。

感情には4種類がある。
Joy(喜び), Sad(悲しみ), Anger(怒り), Fear(恐れ)。
うれしいときに喜び、悲しいときに悲しみ、怒れるときに怒り、恐れるときに恐れを表現することができれば、その人はAuthentic Feelings(本物の感情)を感じ、表すことができていると言える。

しかし、感情を本物のまま感じ、表現することは、すべての人に、いつでも許されているわけではない。
「調子に乗るな」「泣かないの」「怒っちゃダメ」「意気地なし」などという言葉によって、本物の感情は他者に制限されることがある。
そういう環境で育った子どもは、本物の感情を表すこと=よくないこと、と認識してしまう。
さらに、「良い子でいる」「褒められる」「叱られない」ために、本物とは別の感情を表現することが上手になる。
本物の感情を封印し、代わりに、相手の好む感情を選択して、さも自分の感情であるかのように表現する。
この、本物じゃない感情のことを『ラケット感情』という。

ラケット感情を身につけた子どもは、本当は悲しいのに怒りをぶつけたり、本当はうれしいのに罪悪感を感じたりする大人になる。
こうした感情のゆがみの例はココココココなどを参照。

子どもが生きていくために習得するスキルというものは素晴らしくもあるが、その反面、本当に恐ろしい。
大人は責任重大だよ。

で、私は心理の専門家じゃないので深入りするつもりはないんだけど、気になったのは『ラケット感情』という名前。
なぜ“ラケット”?

日本語では『ニセモノの感情』『代用感情』とも呼ばれている。
英語にも”Inauthentic emotions” “Substitute reactions”など、より直接的でわかりやすい呼び方がある。
これらの形容詞なら『本物』”Authentic”とすんなり対になりそうだ。

ところが専門用語の性なのか、わかりにくい『ラケット感情』”Racket feelings”の方が、むしろよく使われている。
「racketとはペテンとか不正とかの意味」とサラッと書いているサイトもあるが、それでは納得できないよ。

なぜ“ラケット”?
その答えを求めてやっとたどり着いたのがこちらの説明(参照)。

Berne called such feelings “rackets”, because he thought that people who manifested what were obviously phony feelings or attitudes were extorting strokes the way gangster racketeers extort “contributions” to false charities.

TAの提唱者エリック・バーン氏は、偽りの感情や態度を使う人々を、圧力をかけて不当な要求をする暴力団に擬え、相手からのストローク*を不当に奪う“ゆすり”行為だとして、この“本物じゃない感情”を『ラケット感情』と名付けた。
*『ストローク』とは、存在や価値、能力などを認めていることを伝える行為。承認。かまってあげる/もらうこと。

おいおい、穏やかじゃないね。
『ニセモノ』や『代用』なんて生やさしいもんじゃない。
まして『ラケット感情』なんてかわいらしく仕上げてる場合じゃないよ。
訳すなら『悪徳感情』、『詐欺感情』、あるいは『喝上げ感情』ぐらいだろうか。

英語の人たちは”Racket”と聞けば「お?」と思う。
つまり、”Racket feelings”という用語は自然に有標性を伴う。
英語がわかる心理学の素人は、用語の意味は知らなくても、なんとなくヤバそうな気配を感じることができる。

それを「なんだかわかんないまま」カタカナで輸入して「なんだかわかんないまま」使うというのはいかにも日本的。
せめて専門家が使う専門用語のレベルではちゃんとしてほしいよなぁ。

『喝上げ』ではワルのイメージが強すぎて却下なのかもしれないけど、それなら『ラケット』なんていうごまかし方もやめようよ。
そもそも、本物じゃない感情に支配されることは危険性を孕んでいる。
本人にとっても、周囲にとっても不幸を招く。
バーン氏が”Racket”という語を使ったのには、子育て、あるいは大人の心の健康という文脈において注意を喚起し、警鐘を鳴らすという意図があったのではないだろうか。

カタカナ語は日本人の思考停止のサイン。
本格的にどうにかしてほしい。

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