『東大病(とうだい・びょう)』という病気があるらしい。
ここ数年、私の周りに学歴の高い人が増えてきた。
世界有数の超一流大学の出身者と普通にお話したりごはん食べたり…なんて、ちょっと前までなら考えられないことだった。
日本でいうなら東京大学。
で、その卒業生Mさんから、『東大病』という病気があるという話を聞いた。
狭義には「東大へのこだわりが捨てられない病気」。
患者になるのは、たとえば、東大に入ることだけを目指して勉強している高校生、別の大学へ進んだが、密かに東大再受験を狙う仮面浪人生、東大に進み、そのことばかりを誇っている東大生および卒業生、東大以外の大学を卒業したことに納得できていない社会人、など。
こちらのサイトにあるように、病状を自覚している人もいる。
結構いそうだよね。
私のように、幸いにも一度も東大を目指したことがない人にはまるで縁のない話だけど、罹ったら面倒くさそうな病気だ。
治療法は?と尋ねると、「東大以外の価値を見出すことでしょうね」。
たとえば東大を目指していた高校生が受験に失敗しても、他の大学に進み、そのことに満足し、そこで生まれた新しい可能性こそ自分の道だと思えるようになれば、東大病を克服できるらしい。
Mさんが「狭義には」とわざわざ断ったのが気になったので、ネットで調べてみた。
こちらのサイトによると、広義の『東大病』は、「主観性の知の追求の欠落」「勉強と受験勉強の違いすら分からぬ知的退廃」「堅固な序列主義とステレオタイプの優秀者を生むこと」など、日本の教育全体に対する批判でもあるようだ。
この場合の“東大”はいわゆる偏差値の高い組織全般のこと。
日本の教育は“東大”を崇拝することにより「知性」の意味を歪め、本当に「知的な」人間を育てそこなっている、ということだ。
なるほど。
いずれにしても厄介な病気だね。
健やかで優秀な日本人を育てるのは難しそうだ。
『ハーバード病』や『オックスフォード病』もあるのかな。
あるとしても狭義のほうだけのような気がする。
広義のほうはアジア、特に東アジアに特有の病気っぽいんだよな。
“教育のグローバル化”が進むと、アジア地域で『ハーバード病』や『オックスフォード病』が流行りだしそうだ。
アジアには『知足』っていう漢方薬があったはずだけど、最近は手に入りにくいのかな。
類似品の『挫折』や『逃避』は副作用が強いけど、安いのと即効性があるのとで、よく売れているように見える。
私が思うに、
頭がいいとか、学力があるとかは別に非難されるべきものではない。学ばなければ人は、成長しない。
だが、問題なのは、その学ぶものがどういう目的、原動で学んでいるか。つまり、単に頭がよければいいなんて考えてる輩は漏れなく仕事が覚束ない、受験勉強こそ勉強と思える人間が東大及びそこに準ずる大学に進めるのが今日の日本の大学現状でしょう。要するに、価値観が不安定な青年期に受験勉強が勉強であるという歪んだ偏見を刷り込まれた人間が受験秀才になれるのはいいが、果たして勉強とはそういうものなのか。
東大病とはいわゆる、システムに従順な、懐疑心を失ったただ頭のいい(処理能力だけ高い)人間でしょう。しかし、問題を見つけ、解決する、システムを見直せる人間は往々にして、システムに従順ではなく、いい意味で懐疑的な批判精神を抱懐している人間です。しかし、今日の日本では後者は冷遇される。
ご指摘の点は広義の東大病として、本文中に引いたサイトに「わが国のひどく歪んだ知のありよう」とあるとおりです。狭義の東大病については、東大へのこだわりを原動としているという点は共通しているものの、その“症状”はいろいろです。東大および東大崇拝に対しての反発や批判というかたちで表れる場合もあります。いずれにしても健全ではありませんが、それこそが“病”と名づけられている所以でしょう。
コメントありがとうございました。