愛情

愛情を可視化して、受け取りやすいかたちにすること、について。

私は12歳のとき交通事故に遭い、家族に長い夜を過ごさせてしまったことがある。
本人は意識がなかったから知らないんだけどさ。

その話をしたら、「ご両親はそれをきっかけに、親としての生き方が変わったのではないか」と言われたので、そんなふうには感じないけど、せっかくだから一度聞いてみるか、と、本人たちに直撃インタビューをしてみた。

「事故前・事故後で何か変わりました?」。
父はこういうとき、あんまりちゃんと答えない。
母はしばらく考えて、「うーん、そういう部分もなくはないけど、変わったというほど変わってないかも」と言った。
「もともとかわいがってたしねぇ」。

だと思った。
事故前の12年間だって、かなり自由に、やりたい放題やらせてもらってたからね。
あれ以上に甘やかすことが可能かどうかもわからないし、逆に、たとえば心配のあまり行動を制限されたりした記憶もない。
子どもとはいえもう12歳だから、そんな変化があったらさすがに感づいてるよ。

で、ふと思った。
私自身はどうか?
事故前・事故後で何かが変わったか?
そんなの考えてみたこともなかったけど、せっかくだから一度考えてみるか。
確かにいちおう生死をさまよっちゃったりしたわけだから、なにか大きな変化があってもおかしくないよね。

“人生観”というほどのものかどうかはともかく、12歳なりに、それまでに構築していた日々の過ごし方や、気持ちの持ち方、人との接し方はあったと思う。
でも、それが取り立てて変化したかと言われると、うーん。
たとえば急に勉強をちゃんとするようになったり?
積極的にお手伝いをするようになったり?
明るく、前向きになったり?
…いやぁ、ピンと来ない。

でも、よーく考えてみると、あれを境に私は「愛されている」という感覚を実感として持つようになった気がする。

私が生きていることに心から安堵する両親、2ヶ月の入院中、欠かさず差し入れを運んでくれた叔父、いろんなお見舞いを持って遠くから駆けつけてくれた親戚、毎日病室に通ってきてくれた友人や担任の先生、学校の屋上から私の名前を叫んでくれたクラスメートたち。
動けるようになってからは隣の病室のお姉さんによく遊んでもらった。

事故のあった日、私は公文に行くのをサボりたくて、友人Kにつきあうという名目で夕方まで一緒に学校に残っていた。
お見舞いに来たKは病室に入るなり「私のせいだ」と言って泣いた。
Kはもう覚えていないかもしれないけど、私は今でもKに会うとそのことをとても申し訳なく、そしてありがたく思い出す。

治療は痛いことの連続だったし、もう歩けないのかも、と絶望的になったりもしたはずだけど、いま思い出すのはよかったことばかり。
長い年月を経て、体の傷でさえうっすらとしか残っていないが、心の傷にいたっては微塵も残ることなく、すっかり、とっくに癒されてしまっていたのだ。

人は愛情に囲まれていても、なかなかそれに気づけない。
たとえば気づくときが来るとしても、自分が親になったとき、あるいは大事な人を失くしたときになってようやく「あぁ、私は愛されていたのだ」と過去形で気づくことが多い。
私はわずか12歳にして、この上なくわかりやすいかたちで、自分に対する愛情を次から次へと示された。
「愛されている」と、現在形ではっきり知らされた。
これにまさる幸運があるだろうか。

そして、そのおかげで私も、自分の持つ愛情をできるだけわかりやすいかたちにして、照れたり、迷ったり、もったいぶったりしないで、堂々と届けることができるようになったのだと思う。
好きなら好きと、うれしいならうれしいと、ありがたいならありがたいと、躊躇なく伝えられるようになったのだと思う。
ちなみに、新しく知り合った人などは、面食らったり戸惑ったりすることもあるだろうけど、私はこの伝え方を変えるつもりはないので、イヤなら離れていってもらうしかない。
大丈夫そうならぜひ慣れていただきたい。

なーるほどー。そういうことかぁ。そうだったのかぁ。
ひとりで勝手に大納得大会だよ。
思いがけず自分の分岐点を発見したみたいで、なんだかうれしい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。