理系・文系

理系の弱点は、文系のことをよく知らないこと。

理系・文系というカテゴリー分けは便利なのだけど、それではうまくいかないこともある。
たとえば教育なんかは理系と文系の中間というか、どっちにも行ける分野で、たとえばひと口に“教育的効果を測る”といっても、国単位など大集団を対象に実験を行ってデータを数量的に扱い、統計から相関や回帰分析をすることもあれば、個人の日記や観察記録、インタビューなどのデータをじっくり質的分析にかけることもある。
前者の研究からは、いわゆる客観的で汎用性の高い“理系”な結果が得られ、後者の研究からは個に焦点をあてた、“文系”な結果が得られる。

芸術や経済もそうだろう。
研究者の興味によって、同じテーマを理系的にも文系的にも料理することができる。

というわけで所属分野名だけをもって、理系か文系かを判断することはできない。
そこで私はいわゆる理系および理系的な研究を“モノ系”、その対義語を“ヒト系”としている。

ここ1年ぐらいで急にモノ系の知り合いが増えた。
で、やっぱりモノ系はすごいなぁと思う。
特に、証拠を提示するときの明晰さと、結果が世の利益にすばやく直結するところは、ヒト系が束になってもかなわないと思う。

ただ、残念なことにモノ系研究者の多くは、ヒト系研究について知識もなければ興味もない。
これはモノ系の弱点と言わざるを得ないだろうと思う。

モノ系研究者でヒト系研究に理解を示す人は驚くほど少ない。
モノ系研究者の中には、モノ系を研究として上位、ヒト系を下位と考えている人がいる。
ヒト系はサイエンスでないとさえ思っている人もいる。
ヒト系研究は誰にでも簡単にできて、その結果は当たり前で、使い道がなくて、意味がない。
モノ系がヒト系を参考にする余地も、その必要性もない。
つまりモノ系研究者は、ヒト系研究について一切なにも知らなくてもかまわない。

ヒト系の研究者はサイエンスの成り立ちをを学ぶうえで、モノ系研究を必ず通る。
物理学にしろ、数学にしろ、化学にしろ、サイエンスが普遍的真理を求めるところに端を発していることを、ヒト系の研究者は承知している。
それをベースに欠点を補うべく新しい論証の方法が生み出され、さまざまなヒト系研究が可能になったことを知っている。
純粋なヒト系研究とは別に、モノ系研究を取り入れてMixed methodsという手法もつくった。

私にはこの現象が、スポーツ界で女子選手が男子選手を相手に練習することと重なって見える。
男子の資料を土台に新しい練習プログラムを組み、男子のコーチをつけ、男子チームに混ざって練習をし、男子と互角に戦える女子選手が育つ。
男女を入れ替えて同じことはなかなかできない。
最近では強い女子チームの練習を参考にする男子チームもありそうだけど、たぶんまだ珍しい。

ま、別に戦いを挑むつもりはないんだけどさ。
ヒト系はモノ系に認めてもらえるようにがんばって、モノ系はもうちょっと頭をやわらかくして視野を広げると、お互いのためにいいかもよ、ってこと。

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