Unending Conversation

Burkeの”Unending Conversation” (Parlor Analogy) をまたひっぱり出してみる。

2008年10月に作った和訳を、ここにもう一度引いておく。

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たとえばあなたが、ある部屋に入ったとしよう。

先客がいる。遅かったのだ。
他の人たちはとっくに話し始めていて、あなたが入ってきたときには、もう皆がずいぶんと熱く語っている。
あんまり熱が入っているので話は途切れないし、誰もあなたに内容を教える余裕がない。

実は遅れてきたのはあなただけではない。
今ここにいる者は皆、話の途中で入ってきた。
だからこれまでの話の流れを最初から、すべて説明することは誰にもできないのだ。

とりあえずじっと聞く。
しばらくすると話の方向が見えてくる。
口を出してみる。
誰かが答える。
それに応じる。
あなたを援護する者がいる。
あなたを攻撃する者がいる。
反対勢力が現れる。
吉と出るか凶と出るかは、あなたがどんな支持者を得るかにかかっている。

ともあれ話は果てしなく続く。

ずいぶんと時間が経って
あなたはもう行かなくてはいけない。

そしてあなたは去る。
あいかわらず話は続いたまま。

出典:Burke, K. (1957). The philosophy of literary form. New York: Vintage.

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改めて、いろんな読み方ができるなぁと思う。
で、今わりと心をつかまれているポイントは「私が去っても話が続く」というところ。

私はあるとき、ほんの束の間、話に加わって、話の展開に沿ってできるだけの貢献をするけれど、ずっとそこに居座っているわけにはいかない。

「私がいないと話が続かない」というのは、幻想であり驕りであると思う。
自分が話に加わってやった、だから話が盛り上がった、などと思い上がるのは勝手だが、実際のところは寂しがり屋の強がりでしかない。

もし本当に、ある人が一人抜けただけで話が終わってしまう、ということがあるとしたら、その人は参加者ではなく破壊者だったことになる。
そしてその程度で終わってしまうような話は、もともと大した話ではないのだ。

私がいなくても話は成り立っていた。
そこに偶然、私は参加することを許された。
先を行く人とも、後を継ぐ人とも話ができた。
私がいなくなっても話は続く。
そんな素晴らしい話に、短い間とはいえ混ぜてもらった。
メンバーとして受け入れられ、認めてもらった。
感謝と満足以外の何があるだろう。

良きところですっと去る。
後方で話が盛り上がっている気配を確認したら、ほっと安堵して微笑んで、振り返らずにドアを閉めよう。

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