日本型優等生

日本人から、知識ではなく、アイディアを引き出す難しさ。

白紙を広げて、「さあ、なんでもいいから好きなように描いて」と言うと、途方に暮れる。

しばらく待って、埒が明かないので、「じゃあ、こういうテーマだったらどう?」と、絞って提示する。
「ああ、いいテーマですね」とかいう感想は出るけど、肝心のアイディアは出てこない。

気まずい時間が流れる。
しびれを切らし、「たとえばさ」と例を挙げて見せる。
こういうのもあるよ、こんなのもOK、これもアリだよ。
「なるほど、そういうことですか」と一瞬は明るくなるが、じゃあ他に?と聞いた途端、シーン。
皆うつむいてしまう。

どんな小さなつぶやきも、ただの思いつきも、すぐさま拾って後押ししてあげようと待っているけど、出ないものは拾いようがない。
思考停止状態。
このままではまもなく電源が落ちる。

ええい、もう仕方がない。
穴埋め問題を作って「埋めてごらん」と言う。
全員のペンが一斉に勢いよく走り始める。

「こんな画一的な出題で、私たちの何がわかるんですか」
「我々の個性を潰す気ですか」
「ロボットじゃあるまいし」
「私たちの能力を見くびっているのですか」
「それでも教育者ですか」
…などという反発は、いっさい、ない。

うーーーむ。

「日本型優等生」への2件のフィードバック

  1. 日本の教育現場では、ナチュラルに自己表現しちゃうタイプの人間は、多かれ少なかれ問題児扱いされがちです。
    問題児と思われるリスクを超えた何ものかを、自分はもっているのだという自信がないと、自己表現というのは怖くてできないんだと思います。

    自己表現できないことこそが問題だと捉えられる西欧的教育の理念からは、考えられないことなんでしょうね。

  2. 「怖くてできない」という感覚、よく考えたいポイントです。少なくとも教育の場は学習者にリスクを取ってもらわないと意味がないというのが私の考えなので、「怖いけどやってみる」へ持っていけるように仕掛けを作っていかなくてはいけないなと思います。

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