「日本はどうだった?」と日本人に聞かれる。
外国人に聞かれたときとは意味が違う。
「あいかわらず細かいことが気になるみたい」とか「ごはんがおいしい」とかいう答え方もできるけど、在外日本人が聞きたいのは、震災に対する国内の反応の変化。
うーん、なんて答えよう。
ひと括りにはできないから、まずいくつかに分けよう。
バイアスだらけの私のフィルターを通して得た情報を、それ以上には歪曲しないように気をつけて。
被災地のこと。
秋から関わっている新しいプロジェクトのつながりで、被災地の様子を直接見聞きする機会を与えられた。
瓦礫の撤去が明らかに進んでいること、仮設住宅の充実、営業を再開したお店や新しいコミュニティの展開など、前向きな変化もあるにはある。
が、その一方で、失業手当の給付終了や資金繰りの困難など、義援金・投資の活用について改めて考えなければならないことが山積み。
ボランティアなど外部から来た人に飲食や宿泊をしてもらい、被災地でお金を落としてもらう方法を模索しているところもあるが、自治体によって活発なところとそうでないところの差が大きい。
教育面では授業の遅れ、不登校の増加など数字に表れるものから、心の傷など、表面化しにくいものまでさまざまな問題がある。
心のケアについては子どもに力を入れるのは当然だが、後回しになっている大人たちにもぜひ目を向けてほしいと思った。
先生方の疲労、障害のある子を持つ親の仮設暮らしの難しさなど、現実はかくも厳しいものかと言葉を失う。
あまりにもよく聞くフレーズだから薄っぺらく感じてしまうが、復興にはまだ膨大な量の時間とお金と労力が必要なのだ。
そして被災地以外の日本国内のこと。
かなり日常生活が戻っているなと感じた。
それは喜ばしいことである反面、震災への関心の薄れでもある。
個人的には「いいんだけど、しょうがないんだけど、でもちょっと早くない?」と思ってしまう。
12月25日まではすべて洋風、26日からはすべてが和風。
外国語のクリスマスソングは琴の音色へ、ツリーは門松へ。
大晦日には過去をさんざん振り返り、お正月からは未来しか見ない。
そういう切り替えの速さは長所だと思うけどさ。
たとえば夏と比べて、節電の意識は下がったようだった。
冷房のとき、無理しすぎなくらい控えていたのとは対照的に、暖房はずいぶん遠慮なく入れていると感じた。
東京は電車も地下街も大学もレストランもみんな暑かった。
「節電も大事だけど、使ってあげないと電力会社も困るから」という意見も聞いた。
そういえば今日は東電管内で、震災以来最大の電力消費が記録されたそうだ(参照)。
それから、これは本当にざっくりした感想でしかないけど、労わりや癒しが強く求められているなぁと思った。
『絆』や『幸せ』という言葉が流行っているのもその表れだろう。
生きること、生きていくことを初めて本気で考えて、それまでなんとなく「たぶんみんな同じ」と信じていたことが、実は違ったというショックを受けた。
まだその記憶は残っているのだけど、いろんな感情をしっかり感じきる前に日常が再開してしまったから、気持ちの整理ができていないのかもしれない。
本当はうやむやになる前に吐き出しておいたほうがいいんだけどなぁ。
生き方を変えた人、変えなかった人。
よりよく生きていくことにした人、生きるためのハードルを下げた人。
どう生きていこうか決められない人。
その混沌とした状態で深く深く自己を見つめることはものすごく貴重で大切なプロセスなのだけど、そこを乗り越える精神力の強さを持ち合わせていない人もいる。
そういう人を追い詰めないようにしつつ、逃げないように見守りつつ、道を示してあげるにはどうすればいいのかな。
「日本はどうだった?」
うーん、なんて答えよう。