「もうイヤだ」

「もうダメだ」から「もうイヤだ」へ。
前進なんだか、後退なんだか。

私はよく「もうダメだ」と言う。
見境なくややこしいことに突っ込んで行くわりに根性がなく、あきらめが非常によいので、「もうダメだ」に出くわしやすいのだと思う。

アメリカへ来て留学生になってからは、特に「もうダメだ」なことがたくさん起きた。
最初の3年ぐらいはずっと時間に追われていたから、締め切り前には「間に合わない」の意味で、日に100回ぐらい「もうダメだ」と言っていた。
英語も知識も観察力も分析力も理論的な話し方も、クラスの中でダントツに落ちこぼれていたから、「ついていけない」の意味でも「もうダメだ」を連発していた。

それがここ最近減ってきたのに気づいた。
代わりに「もうイヤだ」と言うようになっている。

コースワークを終えて久しいので、クラスの中でどうこうというのがなくなった。
締め切りもなければ、クラスメートからの刺激もない。
自分の興味のままに、自分との約束とだけ向き合う孤独な戦い。
内容も深度も期限も自分でどうにでもできるから、「もうダメだ」にはならないけど、「放っぽりだしたい」の意味で「もうイヤだ」と言いたくなる。
学業の終盤で苦しんでいた諸先輩方に聞いていたとおりだ。

考えてみると「もうダメだ」は壁を乗り越えようとしてもがいているような状態だ。
いま思えば越えようとしてること自体が若いし健気だよね。
精一杯がんばっているからこその「もうダメだ」。
「もうイヤだ」にはそんな爽やかなエネルギーはない。
もっとふてぶてしくて投げやりな態度だ。

「もうイヤだ」は「早く終わりたい」の意味でもある。
ここから先はもう業務だと割り切って、イヤでもなんでも淡々とこなしていくしかないのだろう。

すべてが終わるその直前まで、私は「もうイヤだ」と言い続けるのだろう。
一回言うごとに一歩ゴールに近づいていると信じようか。

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