『プレゼンテイター』という語について考える。
日本語で学会のことを話していて、『プレゼンテイター』という語を久しぶりに聞いた。
英語で’Presenter’ を使う機会があるだけに、それを『プレゼンテイター』と訳すのはややこしい。
なので私は日本語では『発表者』で統一している。
しかし『プレゼンテイター』という語が日本語母語話者に違和感なく受け入れられているのも知っている。
なぜなんだろう。
試しに『プレゼンテイター(プレゼンテーター)』をGoogle検索してみると、“和製英語”と論って目くじらを立てている人を含め、約145,000件と非常に多くのサイトが見つかる。
それだけ定着しているということだ。
ちなみに私は“和製英語”の議論が好きじゃない。
そこには往々にして“本物の英語を知る人”がいて、他の人をバカにしたり責めたり自論を押し付けたりしているから。
そもそも外来語が独特の加工を経て定着するなんて珍しくもないこと。
原語と照らし合わせて誤用と騒ぎ立てる人は、外来語と外国語の区別がついていないのだ。
漢語が日本人の創造力と相まって日本語を豊かにしてくれたように、外来語には言語を繁栄させる可能性がある。
ただしそれは外来語が敬意を持って運び込まれ、適切に加工され、その土地のことばとして認められれば、だけどね。
私がカタカナ語と呼んでいる、人目を引くためだけに中身を吟味せず既存の日本語と入れ替えられたり、原語に似せようとしすぎてうまく加工されず、日本語に溶け込めないで外国語風のまま放置されている語が、日本語のために良い効果をもたらすとは思えない。
話が横道にそれた。
なぜ『プレゼンテイター』が日本語の中で定着したか。
“和製英語”議論で指摘されているとおり、『コメンテイター』の影響はあるかもしれない。
『コメンター』という語もブログ用語として存在してはいるようだが、『コメンテイター』ほど一般的ではない。
日本人には’Comment’ より’Commentate’のほうが人気のようだ。
で、’Present’ ではなんとなく物足りなくて、*’Presentate’ にしたくなっちゃったんだね。
とはいえ印刷機のことを『プリンテイター』とは言わないし、『モンステイターハンテイター』は流行っていないから、なんでもかんでも『テイ』を付けたいわけでもなさそうだ。
『プレゼンテイター』のそっくりさんの『プリベンテイター』は、少なくとも検索上、見当たらない。
『インベンテイター』も『ファーメンテイター』も、『エクスペリメンテイター』も、ない。
『クリエイテイター(クリエイティター)』というのは特定の業界で採用されているようだが、『クリエイター』と肩を並べるには至らない。
『プレゼンテイター』には抜群の安定感がある。
なにしろ『プレゼンテイター』と『プレゼンター』はどっちが正しいのか、『プレゼンター』は『プレゼンテイター』の略なのか、はたまた二つは別物なのかと疑問に思っちゃうぐらい『プレゼンテイター』は身近な語なのだ。
『プレゼンター』にこそ違和感を覚えるという人もいる(参照)。
おもしろい。
これだけ手垢のついたネタならば、『プレゼンテイター』がどうして生まれ、こんなに支持されているのか、言語学的考察をしている人がきっとどこかにいるでしょう。
私の勘では、先に『プレゼント』が広まっちゃったせいだな。
‘Present’ は『贈り物』のインパクトが強すぎるので、そのまま動詞として受け入れるには抵抗があり、動詞っぽくしようとして’Presentate’ を生んでしまったのだろう。
たとえば、『プレゼンター』はプレゼントを贈る人、『プレゼンテイター』はプレゼンテーションをする人ってことで、日本語では二語に分けて認定しちゃうのも手ですぞ。
ついでに言うと、実は英語で『贈り物』を’Present’ ということは少ないけどね。
日本在住のアメリカ人Tが何かくれるとき、「ぷれぜんとー(-- ̄-_ _ )」と、いつもふざけて言うのを思い出す。
これ、和製英語とばかりも言えないみたいなのです。
私は大分前に、香港人 (しかもかなりネイティブに近い英語を話す) に、"You are skilled presentater!" と褒められた (のかなあ?) ことがあります。
そうなんですよね。'presentater' はアジアで広く使われているように聞いています。どこ製かを含め現状把握の甘いまま、ただ誤りとして論ってその先がないというのが“和製英語”議論の困ったところです。