持ち家vs賃貸

持ち家派と賃貸派。
ライフスタイルが先か、哲学が先か。

終身雇用と転職や、家族持ちと独身など、『安定vs不安定』の対比をするときに、私はよく『持ち家vs賃貸』を引き合いに出す。

家を買う場合の購入資金や税金や修繕費などと、借りる場合の家賃や管理費の合計はそう変わらないと聞く。
「最終的に手元に残るかどうか」を論点にする人もいるが、私はむしろ「日々の自由度」に大きな違いがあると思う。

…ということを言うと、「そうだねぇ、転職・独身・賃貸は自由だからね」と反応されがちだし、私自身も長くそう思い込んでいたのだが、ひょっとしたらそれはまったく逆かもしれないと思うようになった。
“賃貸”は身軽には違いないが、本当の意味で自由度が高いのは“持ち家”ではないかと。

“持ち家”は自分の所有物。
自分の意思によってイチから設計したり、大掛かりなリフォームを施したりすることができる。
“賃貸”より大きな責任や覚悟や決断をともなうのだから、こうした自由がついてくるのは当然だ。

“賃貸”にそこまでの決定権はない。
知らない誰かが不特定多数のためにつくった“間取り”に、自分が合わせていくしかない。

その意味で“持ち家”は型破りであり、“賃貸”は型にはめられているのである。
“持ち家”は安定した自由、“賃貸”は不安定な不自由なのだ。

そこまで考えて、改めて私は賃貸派だなぁと思う。
一寸先がどうなるかわからない不安定さが好きだし、ある程度の型を与えられて、そのなかでチマチマと工夫するのが性に合っている。
そもそも設計図を引いて実現しようとするほどの強い望みというか欲がないからね。

日本人の多くは安定志向で、不自由が心地良い。
だから“持ち家”にも“賃貸”にも不満が残る。
気の毒だね。

ちなみに三度のメシより自由を愛するアメリカ人には『“持ち家”を買い替え続ける』という環境が与えられていて、創る自由も、改造する自由も、動く自由も阻害されないようになっている。
だから『持ち家vs賃貸』の境界線を日本人ほどきっちり引かなくて済む。
大学の専攻はころころ変えてかまわないし、終身雇用の意気込みで就職したけど転職したり、生涯の愛を誓ったけど離婚したりしても、いちいち白い目で見られたりしない。
不安定で、自由。
道理で典型的日本人と典型的アメリカ人は話が合わないはずだよね。

『持ち家vs賃貸』が影響するはライフスタイルだけではない。
ものの見方全般に表れる。
昨今の「日本はこのままではヤバイ」という議論でも、それぞれの主張に『持ち家vs賃貸』は色濃く反映されている。

持ち家派は日本を丸ごとリフォームできると考える。
『建て直し』『改造』という語が使われているのは偶然ではないだろう。
日本が日本人の所有物だとすれば、経済や治安の安定は自分たちの手でコントロールできるはずだし、まずいところは外科的に切り取って部品を取り替え、“新築同様”に戻して再出発できるはずだと考える。

賃貸派は大掛かりなリフォームを望んでいない。
今の“間取り”のままで、その範囲内で、なんとか少しでも暮らしやすくなるように工夫しようとする。
家具なども今あるものをできるだけ有効活用して、老朽化したところを“味”と呼んで付加価値を見出そうとする。

戦後復興が成功したのは、“更地”となった日本で安定・自由な持ち家理論がうまく機能したから。
今とは違う。
もう日本は突貫工事が許される状況にない。
それを早く認めたほうがいい。
賃貸の不自由さを受け入れて小規模の満足を実現していかなければ、そう遠くない将来、日本は倒壊してしまう。

ところで持ち家派・賃貸派とも頭が痛いのは、この件に関しては“引越し”という選択肢がないことだ。
土地の使い勝手が悪くても、ご近所づきあいが難しくても、この場所に留まるということからは逃げられない。

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