なるべく数字から解放された生活を送ること、について。
電話のアドレス帳機能によって電話番号が覚えられなくなったことを、「ボケにつながる」なんて懸念している人もいるようだけど、私はかなり早くから歓迎していた。
電話をかけるという行為に、余計な数字を介在させる手間が省けるようになったのだ。
もともと「人に話しかける」という行為に必要なのは“名前”や“顔(写真)”であるはずなので、番号で覚えていたことの方が不自然。
言ってみれば、メモリ機能によって、電話をかけるという行為はやっと人間らしさを取り戻したのだ。
同様に、時間や年月や金額など、最近はすっかり数字に置き換えられてしまっている物事も、できるだけ数字から解放してやりたいと思う。
私の部屋にはもう何年も時計を置いていない。
腕時計もなるべくしない。
金額はちらっと確認だけしたらすぐ忘れる。
『きっちり』は他人に迷惑をかけない程度の最小限にとどめて、残りはぜんぶ『だいたい』と『ざっくり』で。
外が明るくなったり暗くなったり、おなかが空いたり眠くなったりするのを敏感にキャッチすること。
友達と会って昔を懐かしく振り返ったり、子どもの成長や年長者の衰えをしっかり見つめること。
モノの価値をきちんと見定めること。
数字に換えないでおいたほうが素敵なことは案外たくさんある。
数字から離れると、芯の強い、澄んだ記憶を残せるような気がする。
詳細を記録して呼び出す手段はいくらでもあるんだから、そういうのは他に任せて、人の脳は、人の脳らしいやり方で記憶を残したほうがいい。
疲れている人や元気が出ない人は、休みの日とか、日が暮れた後ぐらいは、意識的に数字をオフにするようにしたらいいと思う。
知らず知らずのうちに、数字に振り回されていたと気づくんじゃないかな。
私のような数字に弱いどっぷり文系はもちろん、理系のみなさんにもオススメしたい。
私も数字には弱くて、4ケタ以上は語呂合わせでないと覚えられません。
脳の中の数字を取り扱う部位に、何か欠陥があるとしか思えません。
数字に強いか弱いかというのは、生き方のスタイルの根幹に関わる問題みたいです。
数字で人を煙に巻くというような芸当は全然無理です。
そのおかげで、「しっくりくる説明」ができないと自分でも気持ち悪いので、まあ、あまり姑息なことはできない性分かもしれません。
語呂合わせ!私もよく使います。数字に強い人には「なぜ数字をわざわざ文字に置き換える?」と不思議がられそうですよね。
>数字に強い人には「なぜ数字をわざわざ文字に置き換える?」と不思議がられそうですよね。
今日付の自分のブログにも書いたんですが、私は 「さんびゃくきゅうじゅうはち」 という耳からの入力データや、視覚的な文字の画像データが、脳内でなかなか 「398」 という意味のある数字に変換されないんですよ。
きっとこの方面の脳内回路がおかしいんです。
脳科学の世界にはなるべく近づかないようにしているのですが、takさんのように他の分野に特に秀でた方の脳なら、バランスをとるために数字を“犠牲”にしているということはありうるでしょうね。
うっかり忘れてましたが私は子どものころは超数字系な子でした。それが今では数字をいちいち言語に置き換えるようになっているようです。どこでどう変化したのでしょう。もう少し考えて、まとまったらまたご報告しますね。