お金って、なんだろう。
注文したプリンタインクが、記録上『お届け済み』なのに届かないので問い合わせたら、「違うとこに届けちゃったかも」とのことで、あっさり再発送されて翌日に届いた。
スキャンしても読み取れない商品があったとき、レジ係が「いくらか覚えてる?」と聞くので、「うーん、3ドル何セントかだったと思う」と答えたら、「じゃあ$3.50にしとくよ?」と言われた。
タクシーに乗ったら運転手のおっちゃんがやたら上機嫌で、「いくらでもいい」と運賃を決めさせられて困ってしまった。
募金があれば文字通りポケットにあるだけのお金を差し出し、ボランティア活動にはひょいっと力を貸す。
ざっくりした国ではそういうことがよくある。
その一方でこの国はカネによって成功を量る。
わずか数セントのためにクーポンを切り取ることも、割引や送料の差で同業他社としのぎを削る商売のやり方も、賃金で仕事を選ぶことも、セレブとかいう地位をもてはやすことも確立している。
ざっくり部分は輸入される気配さえないのに、カネに執着する習慣だけはアメリカから日本へ持ち込まれ、あっという間に広く支持を得た。
これから日本は貧乏になる。
その予感があるから日本人は財布の紐を固くする。
“賢い”人は今のうちにカネを集めておこうと躍起になっている。
手軽に金儲けできる方法に飛びつく人が増える。
マネーゲームってのはおもしろくてたまらないらしいよ。
私はお金のことを考えるのが苦手。
だから私自身ががっぽり儲けて金持ちになることはありえない。
しかし私はそのことをちっとも残念に思っていない。
カネは天下の回り物だという。
私の物ではないのだ。
私のところへ一時的に入ってきたカネは、まもなくどこかへ出て行く。
カネに関して楽しみがあるとすれば、入って出て行くというその流れとともに生じる何かでしかない。
私はケーザイのことはよくわからないけど、動きの止まったカネから何も生まれないのはわかる。
お金は動かしてナンボ、なのだ。
かき集めたお金に囲まれる暮らしに憧れる人もいるけど、人は淀んだところに浸かっていると世の中が見えなくなり、ろくなことを考えない。
アイディアが枯渇するにしろ疑心暗鬼になるにしろ、恐ろしい世界であることは間違いない。
私は節約をしていない。
モノの値段もあまり知らない。
どこかで損をしているのかもしれないが、それも知らない。
そのこともちっとも残念に思っていない。
たとえば他の誰かより少し余分にお金を払っているとして。
まず私がそのことに気づかなければ損した気分にならずに済む。
お金のことを考えるという、苦手を免除してもらえるんだから、多少の支出は致し方ない。
お金のことを考えないおかげで、どこの何がいくら安いか、リサーチをする時間も労力も節約できる。
ひょっとしたら逆に得しちゃってるかも(知らないけど)。
ならむしろラッキーじゃん。
カネを集めようとする人からは、哀しいほど人が離れていく。
人は口で言うほどカネが好きじゃないんだろうと思う。
本当はみんな私と同じくらい苦手なんじゃないかと思う。
モノやサービスをお金に換算したものを『対価』というが、対価はカネにもある。
“Priceless”には「これだ!」という日本語訳がないけど、誰でも例を挙げて説明できるのは、“カネの対価”という意味をみんなが知っているからだと思う。
いやはや、お金という物に関しての感覚がこれほどまでに共通した人が現存することを知って、私はうれしいです。
おぉぉ、本当ですか!
takさんのような方にそう思っていただけるなんて私はとてもうれしいです。光栄です。