判断難民

ここ数日、ずっと『判断』のことを考えている。

平常時もそうだが、非常時には特に『判断』が必要になる。
政府も自治体も原発で作業する人たちも、いつもなら「広く意見をうかがって、段階を踏んで…」という体質の人たちだが、今は、その場その場の判断で動くより他にない。

個人だって同じことだ。
日々刻々、それぞれの判断力が試されている。
それぞれの判断から各人の覚悟や責任感が透けて見える。

いちばん悪いのは判断をしないことだと思う。

いままでの日常生活で『判断』から逃げていた人は、当然のことながら“イザという時”にも判断する力がないので、動けなかったり、動きすぎて迷惑になったり、グラグラして邪魔になったりしている。

判断するということは必ずしも正解を出すことではない。
結果的に間違っていても、批判を受けることになっても、『判断』の価値は変わらない。
とにかく、判断をすればよいのだ。

しかし、間違えることや批判を恐れて、あるいは多数派に入ろうとか、嫌われないようにしようとかいう下心があると、『判断』は確実に妨げられる。
平常時は誰かに身を委ねて導いてもらうのを待っていればいいが、比較的気長で親切な人でもこんな時はなかなか振り向いてくれない。
そうして“判断難民”がわんさか生まれる。

今回の災害によって突きつけられた課題はこれからたくさん出てくるだろう。
やがてまた平常時が戻ったら、『日頃から判断力を養っておくこと』の大切さを改めて考えてほしい。

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