“盛りセンサー”を解除する方法を教えてほしい。
ちょっと大げさにするなどの演出を加えて、話を“盛る”人がいる。
法螺吹きと似たようなもんだろうけど、盛る人の方が“芸”が達者で、他人から良く見られたい欲求が強いような気がする。
私は不正確には寛大だが、嘘が大嫌いなので不誠実には異常に敏感なのだ。
“盛り”があるところではついセンサーが働いてしまう。
その最たるものが自己紹介・PR・プロフィールの類。
いかにもウケのよさそうなところだけをツギハギして都合よく勘違いを誘う書き方をしている経歴など、見ただけでうんざりする。
実情を知っている人のものならなおさら。
自分を正直に表現できない弱さ、軽薄さ、ギリギリ虚偽にならないためのチープな方略…
そのすべてにがっかり。
盛るのを繰り返しているうちに、“盛り癖”がついてしまう人もいる。
盛るのがあたりまえになって、自分でもなにが真実かわからなくなってしまうのだ。
塩分の摂りすぎで味覚障害になるように、盛らない話では物足りなく感じるのだろうか。
それとも盛った話に本人もだまされてしまうのだろうか。
盛り癖のある人は、短期的または表面的で広範にわたる社交を好む。
誰もが自分と同じような人づきあいをしているのだと信じこみ、他人の話もプロフィールも盛っているものとして受け止める。
「みんなやってる」「そういうもん」だとか言う。
こちらがどんなに誠実に接しようとも相手はそれを望んでいないか、誠実の意味を理解しようとしないのだから、信頼関係を築くことはできない。
かなしくなる。
なにを言おうと書こうと構わないのかもしれない。
自由、なのかもしれない。
ただ、世の中には“盛り”を感知すると、非常に不愉快に思う人がいることを知ってほしい。
迷惑防止条例ぐらいに入れといてくれないかしら。
“盛りセンサー”は自己防衛に役立つけど、見たくもないものを露わにするという副作用がある。
いっそ解除してしまいたい。
まだまだ私も修行が足りないのだ。