会話はよくキャッチボールに喩えられる。
言うまでもなく、『話す』『聞く』を交互にやることを、『投げる』と『受ける』に当てはめたもの。
だが、一口にキャッチボールと言ってもいろいろだ。
真っ先にイメージするのは、向かい合った二人がにこにこしながら、メトロノームのように往復規則正しいリズムを刻み、『投げる』『受ける』を繰り返すものかもしれないが、そんなのどかなキャッチボールは現実にはまずありえない。
速度・コース・重さなど、“球”には投げ手の癖が載ってくるし、捕球や返球には受け手の癖が出る。
だから早口を相手にすると疲れてしまうし、遅ければイライラする。
相槌が多ければ鬱陶しいし、少なければ「聞いてるの?」となる。
それでもお互いに「自分は“普通”だ」と思っている。
以前にも書いたとおり、『会話のキャッチボール』のプレイヤーには、“言う=思う”の直球型と、“言う≠思う”の変化球型の2タイプがある。
直球型と変化球型がキャッチボールをすることになったとき、根拠もなく「相手と自分は同じ型だ」と決めつけてかかると、びっくりさせられることになる。
たとえば直球型の投げ手は、受けるときも直球が飛んでくるのを想定して構えている。
「“普通”ここだろ」と。
だからいきなり変化球が飛んでくると捕り損ねてしまう。
変化球型の投げ手は“普通”の球を投げたつもりでいるから、なぜ相手が捕れないのかわからない。
直球型受け手は何度か失敗を経験するうち、相手の変化球をどうにか捕れるようになってくる。
だからといってコツを掴んだわけではないのだが。
一方、投げ手は構わず変化球を投げ続ける。
そもそも自分の球が捕りにくいとは思ってないからね。
複雑な変化球を相手が捕ってくれるのがうれしくて、ますます回転をかけてくる。
なんとか捕球できているうちはよいが、いったん球が逸れると揉め事になる。
投げ手は「このくらい捕れるでしょ」「ちゃんと見て」。
受け手は「ヘンな球ばっかり投げるな」「捕れっこない」。
お互いに相手のエラーを主張する。
喩えを一旦オフにして実際の会話に戻すなら、「言わなくてもわかるでしょ」→「わかるかよ」ということだ。
同様に変化球型の投げ手は捕手になっても、球は最終的に曲がるんだろうと思って構えている。
相手の手を離れたボールがそのまままっすぐ届くとは、夢にも思っていない。
直球が受け手の体の正面に当たり、投げた方は目を疑う。
いちばん“普通”なド真ん中ストレートなのに。
そのうちに速い球が受け手のみぞおちにズドンと入る。
とうとう受け手は「痛いじゃないか」と怒りだす。
「まっすぐなんて“普通”投げないでしょう?」。
会話に戻すと「本当のことを言っただけ」→「傷ついた」だ。
会話のキャッチボールがうまい人は持ち球の種類が豊富で、相手に合わせて球種を変えることができる。
一球目を受けたと同時に相手のタイプを把握して、捕りやすいように同じ球種で投げ返す。
淡々とした投げ合いが退屈になってきた頃に、相手の捕りにくいところへわざと投げたりして、会話に変化をつける技もあるが、これはもうプロの域。
特に言語や文化をまたいで会話するときは、相手の球種まで読む余裕などない場合が多い。
それでついお互いに自分の得意球だけを投げ合って、まるで各自が砲丸投げをしているような状態になる。
受け手不在、つまりキャッチボールは不成立になりやすい。
さて。
ここでいう直球vs.変化球は明示vs.暗示の違いであり、Low context vs. High context (Hall, 1976)の違いである。
ステレオタイプ的には日本文化(High)とアメリカ文化(Low)は、この点において両極端と考えられる。
得意球の大きく異なる二者が臨むキャッチボール。
ま、だから日米の相互理解は難しい。
日本人がちょっと英語を話すようになったぐらいではどうにもならない。
日本人向けの対処法としては、「自分は知らず知らずのうちに変化球を投げている」「相手にはすべての球が直球に見える」「相手は変化球を投げられないし受け取れない」ということを知っておくこと、かな。
多くの日本人にとって直球は危険球のように見えるけど、投げてみると案外あっさり相手に届いて拍子抜けするかも。
もちろんお互いさまだから、日本人と会話するアメリカ人はこれの逆を心得ておくべき。
ビジネスや外交の場では気をつけて実践されているけど、日常会話だとつい忘れちゃうからね。
日本人は空気を読む能力が高いばっかりに、外国で不愉快な思いをすることもあるけど、そもそも「空気を読む」だなんて超能力なんだから。
変化球も捕れない相手に、消える魔球を投げちゃダメだ。
References:
Hall, E.T. (1976). Beyond culture. NY: Anchor.
Larry, S.A. , Porter, R.E., & McDaniel, E.R. (2007). Communication between cultures (6th Ed). Belmont, CA: Wadsworth Publishing.
Yamada, H. (2002). Different games, different rules: Why Americans and Japanese misunderstand each other. Oxford University Press.