「コミュニケーションのコーチングというと、文法の勉強はやらないんですか?」。
英会話コーチングの説明をしていると、時々この質問を受ける。
いわゆる“受験英語”の、使えない・通じない・意味がないという悪いイメージは、薄れたり強まったりを繰り返すだけ。
学校で教科としての英語に苦しんだ人たちは、「あれは無駄だった」と認定してもらうといくらか報われるような気がするのかもしれない。
その上に、主に英会話屋さんが植えつけたと思われる、『文法=つまらない』『コミュニケーション=楽しい』というイメージが乗っかっている。
というわけで、陰の文法と陽のコミュニケーションは二極とみなされ、『(楽しい)コミュニケーションをやる=(つまらない)文法はやらない』という予想のもと、冒頭の質問が発せられる。
たぶん質問者は、“コミュニケーション”も“文法”も“文法の勉強”も、なんのことだかよくわからないで質問しているので、こちらとしてはなるべく慎重に「コミュニケーションのために必要となることは、文法も含め指導していきます」と答えるのだが、あまり納得してもらえない。
さて、どこから説明したらよいものか。
コミュニケーションを実現するためには、発信者・受信者とも、それぞれが会話の場に、表情・ジェスチャー・図などの非言語情報と、文法・語彙・発音・イントネーションなどを含む言語能力を持ち込むことが望まれる。
さらに予備知識や適切な相槌、間などを活用することで、より円滑なコミュニケーションが期待できる。
これらの要素を各1ポイントとし、「英語で会話をする際の総合得点を高めていきましょう」というのが私の考える英会話指導であり、学習者ひとりひとりの現在の持ち点と弱点を明らかにして、より高いポイントを獲得する道すじをつけるのがコーチングだと思っている。
すべての要素を横並びの1ポイントとすると、「XXができればYYはできなくても構わない」という考えは消え、どの要素も同等に扱うことができる。
「伝える・伝わることを促進するか妨げるか」という意味で、良いタイミングでうなづくことも、膨大な語彙も、ネイティブ並みの発音も、相手の興味を引く知識も、コミュニケーション活動において同じく大切であり、その総合的な力がコミュニケーション能力なのだ。
正しい文法の英語はそうでないものより伝わりやすい。
もうこれは絶対にそうなのだから、文法はできた方がいいに決まっている。
コーチングの中で学習者に実際の会話や文字起こしをさせれば、いわゆる“受験英語”をきちんと勉強したかどうかは一目瞭然。
文法に強いことがどれほど有利かがはっきりと表れる。
私は特に相手の発言を理解すること(≒リスニング)に文法力が現れることを『聞くための文法』と呼んで、事あるごとにその重要性を強調している。
ただし、コミュニケーションを妨げない範囲での非標準な文法についてはとやかく言わないという意味で、コミュニケーションのための文法指導は一般的な“文法のお勉強”と性質が異なる。
…などと長々説明するわけにもいかないしなぁ。