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不機嫌な場の日米比較。
個人主義とか集団主義とか。

正常に機能していない空港にはどうしても不機嫌な人が現れる。

カウンターで延々と文句を言っている人。
それに対応する係員。
イライラしながら携帯をかけまくっている人。
顔を真っ赤にして怒っている人。
堪えきれず罵倒を始める人。

係員がキレ気味なことと、怒る人たちの表現方法はいかにもアメリカン。
日本だったら係員はひたすら低姿勢で、卑屈なほど謝り倒しているだろうし、あんなに全身を使って、漫画みたいに怒りを表現できる人も少ないだろう。
頭の上に『プンプン』って文字が見えたもん。

しかしそれより大きな違いは、『不機嫌な人がいる場での周囲の反応』だ。
文句の正当性を認めつつ、「まぁしょうがないじゃないの」と苦笑いしたり、「みんな同じ気持ちですよ」となだめたり、「あんなに怒らなくてもねぇ」とネタにしたり。
係員に「大変ですね」と声をかける人もいる。
そこに笑顔と会話が生まれ、個人の不機嫌を周囲が消化吸収してしまうのだ。

日本で怒鳴り散らしている人がいたら、周囲は黙り、眉間にシワを寄せるぐらいのものだろう。
それでは不機嫌がみんなに伝染してしまうのを阻止することができない。

能天気で困ることもあるけど、こういう時、アメリカ人はうまいなぁと思う。
大規模な非常事態への対応は、日本社会の方がまだいくらか冷静かなと思うけど、この程度の日常的なレベルのトラブルに対しては、アメリカの方が上手。
個に周囲が振り回されないようにすぱっと線が引ける。

これを個人主義とする見方もあるだろうけど、私はむしろ集団主義なんだろうと思う。
彼らは見た目がバラバラなので、常に“意識的に”社会性を保とうとする。
みんなで問題を分かち合って、みんなで前向きになろうとする。

たとえば振り替えの長蛇の列の中では、モニターや係員や携帯から最新情報を入手しては、みんなに伝える人がいた。
必ずしも問題解決になるわけじゃないけど、やっぱりThanks for sharingという気持ちになるし、その気持ちをまたみんなでシェアできるので、いくらか心が和むのだ。

対照的に、見た目が似ているというだけで揺るぎない集団主義を信じこんでいる日本人は、実はかなりの個人主義なのだろうと思う。
あの混雑した空港のシャトル乗り場で、風貌だけでなく荷物やパスポートや言語からお互い日本人であることは明らかなのに、他人同士はいっさい声をかけあわないというのは、異様な光景だった。
たとえ問題が解決しなくても、声をかけあうだけで疲れも不安も軽減するのに。

ほとんどが数人のグループ旅行なので、仲間うちでは「こっちじゃない?」「どうしよう」と話し合っているのだけど、ひとり旅らしい人が困っていても見て見ぬふり。
見かねて声をかけている私のような変わり者を見つけると、質問をしてくる人が次々に現れ、その様子を見てまた別のグループが話しかけてくる。
授業中は質問もなく進むのに、教室を去りかけた廊下で呼び止められて、なかなか帰らせてもらえない、みたいな。
いいけどさ。
いろんな意味で不便じゃない?

日本は成熟した社会だと思うけど、それだけに失ってしまったものもある。
若手の社会から学ぶべきところもないわけじゃない。
ただし、重要なのは何をどう学ぶか。
闇雲にアメリカを追っかけたりはするくせに、大事なところを見逃している気がするなぁ。

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