「宗教の話はしない方が良い」という注意事項について。
これってどこが発祥なんだろう。
政治や野球と同列だったりするところを見ると、かなり昔の注意事項なんだろうか。
熱くなりすぎてケンカになったり、断りきれず気まずい思いをするぐらいだったら…というのが理由だとしたら、問題は“議論が下手”というところにあるのであって、話題のせいじゃない。
「…しない方が良い」と言われて、「じゃ、そうします」なんてすんなり従う人がいるなら、それこそ「そんな風にしない方が良い」だろう。
なんでもかんでも従っちゃうような人を、利用する人はいても信用する人はいない。
宗教の話をなぜしない方が良いのか。
いつ、誰と、どんな場面でなら許されるのか。
宗教の話のどんな部分に気をつけた方がよいか。
そういうことをちゃんと考えないと、まるで宗教アレルギーみたいな人になってしまう。
「無宗教ですぅ」なんて笑顔で言われたら、世界の多くの人がドン引きするか怪しんでマークする。
テロを経験して以来、日本人は宗教という“言葉”に対して及び腰になった。
パワースポットなんかへは平気で出かけていけるから、『宗教』とさえ呼ばなければいいんだろう。
おもしろいね。
他のどんなことでもそうだけど、周囲があるテーマについて話しているときに、こちらにもある程度の用意がないと話に入れない。
「宗教の話はしない方が良い」のだとすると、それは「あなたには宗教の話をする用意がない」と言われているようなもの。
失礼な言いぐさではないか。
宗教の話ができるようになるためには、宗教の話をするしかない。
宗教の話ができるようになれば、どんな場面でどんな相手とどんな話し方をすればよいか、また「しない方が良い」とはどういうことか、ちゃんとわかるようになる。
宗教の話ができる友人をつくる。
最低限、自分の宗教を語れるだけの知識をつける。
他の宗教に興味を持つ。
たったそれだけのことで、人との付き合いや考え方にどれだけ深みが増すことか。
ちなみに今週末はユダヤ教の新年Rosh Hashanah。
金曜日の日没から土曜日まで一切の仕事は禁止。
正式には断食もするらしい。
そういえばイスラム教のEid ul-Fitrもあった。
つまりアメリカでは多くの人が今までの自分をリセットし、さっぱりした気持ちでやる気になっているわけだ。
私もそこだけ乗っかっとこうかな。
普通に毎日ごはん食べてるけど。