あきらめる

あきらめる技術について。

あきらめるという行動が誤解されているというか、印象が悪いというか、とにかく評価が低すぎると思う。

あきらめるはもともと「明」という漢字をつかった。
物事を明らかにし確かめること。
つまり「あきらめる」とは、現実を正しくはっきりと理解すること。

スポーツでも芸能でも勉強でも仕事でも、必死でやっているとやがて「これ以上はできない」という限界点に達する。
そうしてやっと「あきらめる」ことができる。
限界を悟った結果として自らピリオドを打つこともあるが、途中で投げ出すことなどでは決してない。

ところが「あきらめる」がまるで罪悪のように扱われ、「絶対にあきらめてはいけない」「あきらめたら負け」なんて言われたりする。
音楽や書籍、映画やドラマなどは「あきらめない」をテーマにするとやたら売れる。

あきらめないということは現実から目を背けることなので、できないことは「いつかできる」と先延ばしにし、あらゆる限界は「存在しない」と言い聞かせる。
夢いっぱいの大人たちが、「今は忙しいけれど」「そのうちきっと」と言い訳しながら、持ちきれないほどのファンタジーを抱えている。

恵まれない環境に育った子どもは、小さい頃から「あきらめる」技術が身についている。
戦争中に生まれれば、食べ物がなければ、政治が不安定なら、家族がいなければ、命の終わりが近づいていれば、現実を目の当たりにせざるを得ない。
できないことにいつまでもしがみついている余裕はない。
限られた選択肢の中でできることだけを確実に実行していく。
それが、精いっぱい生きるという意味だと思う。

「あきらめる」は、勇気と決断力を持って現実を見定めること。
しっかりとあきらめなければ、前には進めない。

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