Perception of own English
英語力の自己評価について。
F教授とのミーティングで、「この前の被験者アンケートに、“自分の英語についてどう思うか”って項目あったっけ?」と聞かれた。
「最近読んだ論文に、『アメリカ在住の東アジア出身学生は自分の英語を“平均以下”と評価している』とあって、びっくりしちゃったのよ」とのこと。
概要をざっくり聞いてみたが、むしろF教授が驚いていることが意外だった。
「だって何年も勉強してきていて、実際に英語圏で生活ができていて、平均以下ってことはないでしょう?」。
ふーむ。
それはそうなんだけど。
“平均”の定義が明確にあると仮定して、たとえば私がその調査を受けたら、やっぱり平均以下と答えるかもしれないですよ、と言ったら、F教授はjaw-droppingの状態を数秒たもってから、「えぇぇ、あぁ、そう?本当に?」と言った。
私が異文化研究をあまり好まないのは、センセーショナルになりすぎることがあるからだ。
ただでさえ難しい自己評価を、別の文化圏の読者に向けてどう発表するのが適切か、今の私には見当がつかない。
回答・翻訳・分析・提示・読んだ側の解釈のどこにでも、誤解が生まれやすすぎる。
というわけで文化比較に利用するつもりはないが、日本人によくある過小評価の表現について、英語教育に関わる者としてなんとかしたいところはある。
今回のデータでも会話中に「私は英語が下手だから」を繰り返す被験者がいた。
相手は最初のうちこそ「そんなことないよ」「私なんて日本語ひとつも知らないんだから」と返していたが、あんまり何度も「英語が下手で下手で」と言われるうちに、返す言葉がなくなってしまった。
要するに日本人のへりくだりすぎが会話の相手を困らせた。
ちなみに“ハッタリ”は過小評価の悪いバージョンで、ただの無礼だと思う。
ていうかウソだしね。
そんな浅はかな手段で問題が解決するわけがない。
過小評価は日本の大事な文化。
口先だけでない謙虚な心は美しい。
ただ、異文化圏では理解されにくいことを知っておかなければならない。
こういう“翻訳では乗り越えられない問題”を、外国語を教える時間の中にぜひ組み入れてほしいと思う。
私の英語に対する自己評価は平均以下。
それは変わらない。
ただし私がそれを口にすることを許される場は、とても少ない。