「肺ガンだからタバコを吸う」と聞いて納得する現代人はいるだろうか。
2つの事柄の間にCorrelation(関係があること)が認められても、Causation(因果関係)があるとは限らない。
さらに、どっちが原因でどっちが結果かを突き止めるのはなかなか大変なことだ。
今でこそタバコを吸うのが“原因”で、肺ガンになるのは“結果”だと認知されていて、“肺ガン→喫煙”などと言われたら「んなアホな」と一蹴するのだろうけど、つい60年ほど前、天才統計学者が法廷で「かもよ?」と述べていたのは有名な話。
「肺ガンの症状としてタバコが吸いたくなるって可能性もなくはなくない?」と。
さてさて。
外国語能力とコミュニケーション技術の間にはなんらかの関係がありそうに見える。
外国語を自在に操る人は、受け答え・説明・交渉・説得などの技術も高い場合が多いからね。
それじゃ、ってことでさっそく国際化に向けて英語を強化したりする。
国内で英会話を習って海外旅行や留学へ。
小学校英語を初めとする早期バイリンガル教育のファンは多く、「母国語が完成してからでは手遅れ」という噂がまことしやかに流れている。
“外国語→コミュニケーション”。
この因果関係および順番は、どこの誰が言い出したのだろうか?
第一言語(母国語)習得研究では、赤ちゃんがことばを理解するずっと前からコミュニケーションを始めていることは広く知られている。
“コミュニケーション→言語”は自然な発達過程。
外国語だと逆になっちゃうの?
現行の英語教育では、文法や語彙を積んだ上っ面にコミュニケーションがちょこんと乗っかっている。
そのため、たとえコミュニケーションに長けていても、いわゆる“英語のお勉強”で挫折してしまうと、コミュニケーション技術を英語で試す機会は与えられず、しゃべってみたこともないのに、“しゃべれない人”になってしまう。
これは言語学習を優先させるあまり、コミュニケーション技術を備えた有望な学習者を評価してこなかった英語教育の責任。
このタイプの“しゃべれない人”は力技でねじ伏せて敗者復活を果たすことがある。
“サバイバル”などと呼ばれる類の英語は、要するに母国語で培ったコミュニケーション技術で言語力を補ったものだ。
しかし移民でもない外国人の英語は、やはり教養といえる程度のもの以上でないと、使える場面も範囲もかなり限られてしまう。
アジア諸国の英語教育を見るまでもなく、今後の英語を取り巻く環境で“サバイバル”の需要がないことは明らかだ。
また一方で、“お勉強”を上手にクリアしたというだけで“しゃべれる人”になっている場合もある。
このタイプの“しゃべれる人”の中には、実は相手の話を聞いていなかったり、会話が噛みあっていなくても平気だったりという、タチの悪い輩がいる。
そんな人に異文化交流を任せれば、誤解や嫌悪や損が生じるのは想像に難くない。
これも言語の出来だけを評価基準としてコミュニケーション技術を測ろうともしてこなかった、英語教育の責任。
とにかく英語教育において、コミュニケーション技術のことはほとんど解明されていない。
因果関係うんぬんを唱える段階ではないはずだ。
①外国語能力とコミュニケーション技術の間には因果関係がある。
②外国語学習をできるだけ早く始めて能力を高めると、コミュニケーションが上手にできる。
③母国語でコミュニケーション能力を高めておくと、外国語に応用したときうまくいく。
このうち1つ以上は、将来「んなアホな」と言われるんだろうな。