トヨタ社長訪米ネタで、もうひとつ。
テレビ番組のインタビューの中で社長が、「質問の意味がちょっとわからないのですが」とはっきり言う場面があった。
インタビューにはホストの英語を日本語にする通訳と、社長の日本語を英語にする通訳がついていた。
冒頭にはホストから「英語がお上手なのに、今回はなぜ同時通訳を?」と聞かれ、「思いを正確にお伝えしたいので」と答えていた。
「意味がわからない」と言われた質問は、複雑なものでも答えにくいものでもなかった。
事実、そのあとホストが言い換えたとき、内容はほとんど同じなのに問題なく答えられた。
社長がひっかかったのは”Facebook”ということば。
イヤホンから日本語訳を聞きながら、社長の唇が「フェイスブック」と動く様子がはっきり映っている。
日本ではSNS(ソーシャルネットワーキング)自体がアメリカほど市民権を得ていない。
MixiやFacebook日本版もあるにはあるけど、やはりまだ若者文化の域を出ていないだろう。
一方で、Facebookが世代を超えて浸透しているアメリカでは、70歳代のこの番組ホストだってメンバーなのだ。
この番組に限らずアメリカのメディアでは、番組のFacebookを立ち上げていて、そこに視聴者からの書き込みを募集するのも、もう当たり前のこと。
政治経済を扱うオカタイ番組も例外ではない。
該当の質問は、「これはFacebookに投稿されたものですが」という前置きがついていた。
日本語通訳者がそのまま社長に伝えた。
「意味がわからな」かったのは質問ではなく、前置きの方だったのだが、「質問の意味がわからない」と発言された以上、英語通訳者はそれを訳し、ホストは質問を言い換えることになった。
さて。
これをコミュニケーションの観点からどう見るか。
“Facebook”という耳慣れないことばを聞いて、社長は「Facebookとは何ですか?」と尋ねることもできた。
が、それをしないで、“もう一度言ってほしい”というリクエストをした。
国際的な企業のトップが喚問対策として、曖昧なまま答えることを避けるテクニックを身につけていても不思議ではない。
会話分析では、「XXとは?」と不明確な部分を指定する聞き返しと、全体を言い直してもらう聞き返しとを区別する。
考える時間をとりたいときには後者の方が有効。
しかしここでは単なる時間稼ぎよりもさらに高いコミュニケーション能力が発揮されたのではないかと思う。
さまざまな理由で“?”はいつでも発生する。
しかし全てを逐一解決しないと会話が成り立たないかというとそうでもない。
“なぜ・なに・どうして期”の子どもならともかく、教養ある大人の会話では、たとえ“?”なことがあったとしても、重要度が低いと判断されたものは取り立てて話題にしない。
もしここで「Facebookとは何ですか?」と聞けば、ホストはFacebookの説明をしなければならなくなる。
聞き慣れない単語にひっかかった次の瞬間に、その単語は文脈と関係がないということが、社長には直感的にわかったのではないだろうか。
「質問の意味がわからない」と言うことで、相手の発言の贅肉を落として、質問に答えるという自分の仕事をしやすくする。
再び”Facebook”が出てこない限り、さっきの“?”はスルーしてよいことになる。
会話の質を下げることなく、的確に答えるための時間を得る瞬発力と判断力。
上級の会話者の為せる業だと思う。
ところでこの不要なひっかかりを生んでしまったことに、日本語通訳者は「しまった」と思ったことだろう。
インタビュー終盤で、ホストがTwitterに寄せられた質問を紹介したときは、社長は間を取らずに回答していたから、「視聴者からの質問です」とでも訳し変えたのかもしれない。
わずか数分の間に反省し機転を利かせたのだとしたら、これもプロの仕事として素晴らしい。