鬱憤

「アメリカ人は何でもずけずけ言う」と聞いたことがある。

このニュアンスから察するに、“うれしさが抑えきれず大興奮”とかのハッピーな場面の描写ではなく、言い負かされたり傷つけられたりという不快な目に遭った人の感想なのだろう。

どこの国でもナニジンでも、外国に住むような人はいろんな意味で濃いので、たとえば日本にいるアメリカ人や、アメリカ帰りの日本人の中には、そういう曲者が混ざる率が高いかもしれない。

私などは曲者代表なので、特に若気が至っていた頃はひどいものだった。
アメリカに来てからも、アメリカ人たちが黙してやり過ごすのに苛立ったりしていた。

しかし、どこの国でもナニジンでも、母国でまともに社会生活ができている人の多くは、言いたいことも言わずじっと我慢して、周囲に気を遣って暮らしている。
そりゃそうだ。

今朝のラジオ番組では、そんなまともなアメリカ人の“ずっと言いたかったけど言えなかったこと”が炸裂していた。

FacebookやTwitterのこと。

DJが「言いたかないけど」と前置きして、「一時間に何度も更新する人いるけど、ぶっちゃけ、あれ、うざくない?」と切り出した。
それに一般のリスナーが、「よくぞ言ってくれた」と反応。
大勢のファンがいるような有名人ならともかく、素人がいつ何を食べようが誰も興味ない。
超どうでもいいことばかりで読む気が失せる。
意味のないことを書いて、人に読ませて、で、だからどうしたいんだ?etc.etc.
「自分だけじゃなかったんだ。思い切って言ってみてよかった」とDJがほっとしていた。

提案としてはルールを決めるべきだ、と。
ポイントはSNS以前の情報伝達手段に立ち返ること。
“What I didn’t care before is what I don’t care now”
手軽に伝えることができるようになったからといって、読む側に負担を強いるべきではない。
アップする前に一旦冷静になって、「もし電話やメールだったら、こんなことをわざわざ人に伝えたいだろうか?」と自らチェックするようにしよう、とまとめて、番組は終わった。

無粋ながら念を押しておくと、普段は言えないことだからおもしろいわけで。
ラジオで鬱憤を晴らしたら、日常に戻りまた何食わぬ顔で、友達の新着日記にコメントしたりするんだろうしね。

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