癒しとは、休むことではないんだよなぁ。
風邪を引いても、悲しいことがあっても、オリンピックで戦ってきても、日本人はとにかく、ゆっくり休ませたがる。
“お疲れさま”のおもいやりはほっとするしありがたくも思うのだけど、休むことで回復するのは身体的な疲労だけだということを、つい忘れがちではないか。
ココロの疲れた人を休ませるのは危険。
国民がこぞって心配しているあの方がなかなかよくならないのは、夫が休ませてしまったせいだと思っている。
やさしさは時にむごいことをする。
あるリラクゼーション体験について聞きかじる機会があった。
隅々まで掃除の行き届いた清潔な空間。
さりげなく配置されたセンスの良い家具やアート。
甘みのあるお茶。
段階的に落とされていく照明。
衣擦れ。遠くに聞こえる音楽。
ほのかな花の香り。
手さばきの気配。温度。刺激。
目を開けたときの驚きと爽快感。
見事に計算されたプログラムだと思った。
“癒す”というとどうもパステルに紗がかかったような、ほわーんとかふわーんとかぼやーんとか、やわらかいイメージが付き物だが、それは“休む”の類であって、せいぜい気を紛らわすくらいの効果しかない。
癒すというのはそんな生ぬるいものではないと思う。
視野が狭くなって、においも味も音もしなくなったら、まずは泣くか走り回るかして身体を疲れさせ、しっかり寝る。
起きてもよくなっていなかったら、もう休むのはやめる。
姿勢を正し、意識して感覚を研ぎ澄ませる。
みる・きく・嗅ぐ・味わう。感じる。
五感の胸ぐらを掴んで、がっしがっし荒っぽく揺さぶってやるのだ。
そういう力強さがないと治るものも治らない。