"Can"

それは私が、年長&1年生のクラスを持っていたときのこと。

その日のテーマは”Can/Can’t”。
ひとりずつ絵カードを引いて、”I can swim.””I can’t fly.””I can jump rope.””I can’t play the piano.”
「私それI canだよ!」「それはお前が女だからだ」「そんなことないよ。俺canだもん」などと言い合って、クラスは盛り上がってきていた。

優等生のAの番になった。
引いたカードを見てちょっと考えて、”…I can’t study.”と言った。
みんな「えーなんで?」となった。

「だって私、そんなに勉強できないから」。
賢い子ならではの誤答。
クラス全体が「言われてみれば…」「あの頭のいいAちゃんがcan’tなら私は…」となりかけたところへ、リーダー格のTが鶴の一声、「そういう“できる”のことじゃねーよ」。

私はこのエピソードが忘れられない。
母語の意識が高く、いつのまにか翻訳が身についてしまった子と、理屈を越える言語センスのある子。
“教える人”にできることがあるのだとしたら、それは一体なんだろう。

ところで『勉強ができる』っていう日本語は、考えれば考えるほどややこしい。
どうして『勉強がうまい』とかじゃないんだろう。
この場合の『勉強』ってどういう意味?

勉強漬けを強いられる立場になってしばらく経つ。
自分で立てたスケジュールが消化できず、ギリギリになって無理やり本を開き、重い気持ちでパソコンに向かう。
睡眠不足・焦り・凹み・疲れなどから、「ああ、今日はもうダメ」とベッドにうずくまる“勉強できない”日もあれば、アイディアが次々と生まれ、作業に没頭してあっという間に過ぎてしまう“勉強できる”日もある。

今は大きくなってイイ男になっているであろうT。
あのときは助けてくれてありがたかったけど、実は“そういうできるのこと”だったかもよ。

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