因果応報とか、自業自得とかのこと、かな。
奇跡だろうと運命だろうと、原因があって結果が出る。
幼稚園のころ、近所でひとりっ子仲間だったCちゃんに弟ができた。
どこかのおばちゃんが、「Cちゃんはもうおねえちゃんになっても大丈夫だって、神様が思ったんだね」と言った。
そうなのか、と思った。
私はまだおねえちゃんに届いていないんだと。
私がおねえちゃんらしくならないと、うちには妹も弟も来てくれないんだ、と。
カミサマに見込まれるかどうか、役割を与えられるかどうか、ということを考えはじめた最初の出来事だったと思う。
与えられるものは、うれしいことも辛いことも、すべて理由がある。
同じように与えられないものにも、すべて理由がある。
“資格”という言い方は好きじゃないけど、もしも欲しい何かが手に入らないのだとしたら、ワケあって与えられずにおかれているのだ。
「キミにはまだ無理だよ」ということなのか、「必要ないよ」ということなのかはわからないけど、とにかく、少なくとも今のところは、持たない方がいい理由がある。
ちなみに私はいまだに、おねえちゃんには足りないらしい。
うん、確かに。
さすが、お見事な判断。
悪いようにはしないから。
後でわかるから。