人は年をとると、せかせか度が増すらしい。
だとすると、誰でも日々年をとっているのだから、私のように比較的のんびりしている人でも、昨日より今日、今日より明日と、だんだんせっかちになってきているのだろう。
今のところ私が知っているのは、忙しさに伴う焦りとイライラ。
忙しくなる前、実際にはやっておけることなんてないのに、何かやっておかないといけないような気がして、でも何もできないから焦る。
どうしよう、どうしよう、と憑かれたように唱えて、結局どうもできない。
焦るヒマもないほど忙しくなれば、焦りは自然に消える。
ということは、この手の焦りは心配に似ていると言えるかもしれない。
お年寄りがせかせかするのも心配だからなのかな。
膨大な量の知識と経験のために、予測でき得ることがあまりにも多くて、心配なことだらけになっちゃうのかな。
忙しくなると些細なことにイラッと来る。
パソコンの起動が遅いとか、レジで並ばされたとか、信号が赤だったとか。
“待つ”ということが極端にできなくなる。
お年寄りも待てなくなっているのかもしれない。
「こうしようと思うんだけど」と誰かに相談したり発表したりするのもまどろっこしいほど、頭の中がチャカチャカ動いてしまうのかな。
時間が足りないというのはたぶん錯覚。
そもそも時間なんてものは、いつでも、誰にとっても限られている。
せっかちになるのは、そこに詰め込もうとしているものが多すぎるからで、つまりは欲張りになっているからだ。