“コミュニケーション”が流行ってきてる…のか?
ちょっと前まで、「コミュニケーションっていう分野があってね」などと言っていたけど、最近では日本でもコミュニケーション学部・学科が増えてきた。
学問としてのコミュニケーションも、そのうち説明が要らなくなるのだろう。
人事をやっている友人Iに、最近の就活生の様子をいろいろ聞いた。
『コミュニケーション能力が高い』をアピールしてくる応募者がいるそうだ。
その“コミュニケーション能力”とやらの内訳を突っ込んで聞いてみると、宴会部長的な盛り上げ役に過ぎない…なんてこともあるらしい。
大変興味深い。
事件やトラブルが起きるたびに、「コミュニケーションが希薄になっている!」とか何とか言って、マスコミがその重要性を強調するせいか、どうも“コミュニケーション”=問題解決の万能薬、みたいに扱われているような気がしてならない。
そして“コミュニケーション”=しゃべること、と思われているのではないか。
確かに、しゃべることで解消できる摩擦もある。
話し合いから生まれるアイディアもある。
しかし同様に、しゃべればしゃべるほど拗れることもあるし、言葉に頼りすぎて見失うものもある。
コミュニケーション能力は動物ならだいたい持ち合わせているので、取り立てて自慢するほどのものではない。
“高い”と認める基準はいろいろあっていいけど、おしゃべりやボス役と直結して考えているのなら、大きな誤解だと思う。
たとえば誰かが悲しんでいるときに、その傍らにただじっと座っていてあげること。
仲間と喜びを分かち合うこと。
ともだちや家族を大事にすること。
すべては高いコミュニケーション能力がなせる業だ。
また、悪い例としては、「俺だよ、俺」と電話して大金を振り込ませるなど。
詐欺師というのは全般にコミュニケーション能力が極めて高い。
いずれにしても数分話してみれば、コミュニケーション能力が高いかどうかなんて、すぐバレちゃうんだしさ。
面接という限られたチャンスを生かすなら、何か別の、表面に出てこない部分を知ってもらえるように努めた方が、有効じゃないかと思うよ。